【コラム】実績で能力を測ることの限界
私に対する期待値が、経験とともに高まっていることを、最近感じる。求められる機会が、着実に増えている。
こんな私でも、30代半ばとなれば、歩んできた期間相応の経験と実績があるからだろう。
有難いことではある。
でも、なぜか私は心から喜べない。
どうも釈然としないのだ。
「実績のない若者にとって自由なんて贅沢で、何かを変えることは権力者にしかできない。」
こういった信条が、この世にこんなにも蔓延っているのだという事実を、世界が少しずつ、私の耳元で吐露しはじめているように感じるためだ。
まるで、それが所与の事実であるかのように、この世は、必要以上に秩序立っている。
この世は、表には見えていないところで、数えきれないほどの夢や野望を諦めさせてきただろう。どれだけの若い意欲を、潰してきたのだろう。
そう想像すると、私は怖い。
そして、悲しい。
若くても、経験が浅くても、大きな夢を描ける人・人の心を動かせる人・本気で何かを変えたいという情熱や、何者でもない輝きを放っている方々が、この世には沢山存在しているということを、私は知っている。
だから私は…せめて私だけでも、過去の経験と、未来に活かせる資質を、別のものとして、正しく人の可能性を信じることのできる大人でありたい。
過去の栄光にすがるのではなく、未来について、子供とさえも同じ目線で、キラキラした目で話し合える。そんな大人でありたい。
「若いから」とか、「実績がないから」とか、そういう思考停止ワードは、私は嫌い。そんな理由を並べて、若い夢を諦めさせ、変化やリスクを避けることが大人の仕事ではない。
そうではなく、目の前の人と向き合い、「どうやったらできるか?」について真剣に議論する。子供や若い方々が負えないリスクを大人が負い、夢と希望を必死で守り、一緒に実現する。
そういうことができる大人にならないと、本質的に何かを変えることなんて、きっとこれからはできなくなる。過去が通用しなくなってくる未来が、すぐに訪れる。そういうスピード感で躍動する世界が、もう足元まで到達しているのだから。
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