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宴会部長のつぶやき

 今日は朝から個人的な打合せをして、業務開始直後の全社オンラインMTGへビデオをオフにした状態で参加。毎週この定例会議では、私の出番は全くないんだけど、今日は最後の最後に「Hey Asako,今年の忘年会は?」と名指しで振られた。その瞬間私は、今の会社で与えられた役割を即座に理解し、マイクをオンにして「年末まで皆忙しいので新年会になります!」と返答。20代の頃はあれほど飲み会へは不参加を貫き、もちろん幹事なんて大役とは無縁だったのに、人間の変化って素晴らしいなと思う。その変化が果たして進化なのか、退化なのか、という問いに対する判断は、もちろん飲み会という場に何を見出せるかによるけど、私は飲み会=ただの酔っ払いの集いという認識なので、圧倒的に後者になります。

 オンラインMTGのあと、例のごとくおしゃれなカフェに移動して溜まっていた仕事を片付ける。作らなきゃいけなかった資料にようやく手を付けることにして、とはいえ資料作成と言えどゼロイチで生み出すのではなく、これまで蓄積されてきたスライドの山から切ったり貼ったりを繰り返してそれっぽく形にしただけだ。資料を社長確認へ回したあとは、昨日お客さんから来ている質問の「てにをは」と言葉尻を整えてエンジニアリーダーに送り、回答を得る。それをまた飲み込みやすい形に修整してお客さんに戻した。はい、クライアント対応完了。
 私は職種は違えど、こんな仕事の仕方をかれこれ15年くらい続けている。自分の脳みそは最小限に使いながら、そこに既に存在しているものの形を整えて、見せ方を変えるだけの仕事だ。0→1ではなくて、-1→0をするということ。それこそが私のこれまでの唯一の得意分野、あるいはキャリアそのものだとさえ自負している。そのスキルをノンクリエイティブだと悲観する気は全くない。だって、着実で堅実な仕事っていうのは、アイディア満載でカリスマ性に富む仕事と同等か、時にそれ以上に、大事な大事な役割だからだ。

 とは言え、その考えに敢えてメスを入れるとしたら、「そこに愛はあるのか。」という質問になるだろう。それに対してはもちろんこう答える。仕事は愛のためにするのではなくて、食べるためにするのだよ、と。

 そうなると結局ネクストクエスチョンはこうなるんだ。

「なるほど。それはその通りだけど、じゃあ君は愛のある仕事をしたいか?」


 もうすぐ家を出る時間だ。ジムに行く前に愛の詰まったミカンを1個食べよう。

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