一番になることは、自分に与えられたギフトと妥協なく、ガチで向き合うってこと
いまさらだけど、痛感してるんですよこのごろ
一番になることって、大事だなって。
昔のように、ただ意味なく目指すのじゃなく
「私は、どこで一番になれるんだ」てことを
ちゃんと考えるってこと。
それはつまり、自分に与えられたギフトと
妥協なく、ガチで向き合うってことなんだと
おもうのです。
兄のようには、頭良くはなれない
姉のようには、配慮や気遣いができない
弟のようには、愛嬌がない
中間子にありがちな悩みですが
がんばってもがんばっても
誰にも追いつくことができない、という思いは
子供ながらに、絶望感といって言い過ぎでなく
大きな悲しみを味わうプロセスでした
いまおもえば、そこで私は
ちょっと選択を誤ったんだと思うんですね
自分のギフトを知ろう、という方向ではなく
両親に、一番好かれよう、と思ってしまった
人からの好意、という
もっとも基準がなく、ゴールもなく
自分の力ではどうにもならないものを
目指してしまったんですね
かくして、私が得たものは
「誰かやなにかの一番になるということは
過酷で、辛くて、自分を見失うことだ」
というフィルターと
「一番を目指すことはもう二度とやめよう」
という決心でした
でも、それはちょっと違ったみたい
生来の負けず嫌いの私が
そのフィルターと決心を握りしめてること自体が
私を苦しめてるのかもしれない、とおもい至り
もういちど、選択しなおしてみようと
おもうんですよね
いまは、当時と比べものにならないくらい
自分よりいろんなことができる人たちがいる
だからこそ
「私は、どこで一番になれるんだ」てことを
ちゃんと考えてみようと。
そして、そんなフィルターや決心を
握りしめざるを得なかったプロセスも含めて
今生で、自分に与えられたギフトと
妥協なく、ガチで向き合うってことなんだと
おもうのです。
凝り固まったフィルターを掃除するのは
なかなかに骨が折れることなんですが
逃げてても固まっていく一方だしな…
あくまでそうおもうだけで
またちょっと違っちゃうかもしれないけど
そしたらまた、選択しなおしたらいいよね
再選択に30年かかったけど
次は、もうちょい早く気がつくようにしよう
じゃないと、下手したら
寿命が終わってしまってるかもだから。笑
ま、それもまた一興か。笑
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