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◎祭りの帰りに餅をとられた話

「どうしたの。何とか言ってよ、おばあちゃん」
 婚約したばかりの夏子を祖母に紹介しに連れて行ったときのことだ。今はほとんど寝たきりだけど、祖母はラジオのニュースを毎日欠かさず聞いている。かつて地方紙の婦人欄を担当していたキャリアウーマンで、相当にハイカラな人だったらしい。ぼくが小さいころにはよくいろんな面白い話をしてくれたものだ。その人が夏子を見てすっかり黙り込んでしまったのだ。
「あれは尋常小学校最後の夏じゃった」
 祖母がようやく話し始めたのは、その場には全く関係ない昔話だった。
「いつもの夏のように盆踊りがあってな。須磨ちゃんとまだ明るいうちから出かけて行った」
 天井を向いたまま目をつぶって話す姿は本当にそのときの光景を懐かしんでいるかのようだった。須磨ちゃんと言うのは確か数年前に亡くなった友だちで、いつもは祖母が須磨子さんと呼んでいた人だ。
「そのころは他にそう楽しみもなくて、何かと言えば人が集まっていたもんじゃ。そんときもみんな来ておった。踊ったり、しゃべったり、輪の後ろを走り回ったり。そりゃあ楽しかった。今からすればたいしたことなかろうけども、いろんな音と色が溢れているだけでまるで別世界じゃった」
 ここで祖母は一息ついた。きっと夜店に並べられたお面やら、カラフルな飴玉やブリキのおもちゃなどが思い浮かんでいたのだろう。
「でな、楽しい時間はすぐに過ぎ去るもんだわ。終わりに近づいて、櫓の上から餅が撒かれた。競って四つばかり手に入れたよ。そして太鼓だけがまだ名残惜し気にトントコ鳴っている中、須磨ちゃんや家の人達と帰りについたんじゃ。まだ祭りの気分に酔っていて、暗い夜道だけど全然怖くはない。明るくても今の夜道の方がよっぽど何があるか分からんだろうよ」
 一体この話はどうなるんだろうと思いながらぼくは黙って聞いていた。夏子も横で神妙にしている。
「一応着飾ってはいた。真新しい下駄を履いてな。それで鼻緒で指が痛くなってたもんで、一人しゃがみこんで足の指をさすっておったら、突然目の前に浴衣姿が現れたんじゃ。見上げて思わずわしゃ立ち上がったよ。相手の顔が見る間にどんどん変わって行く。最近のテレビでよく見るじゃろう、ある形がなめらかに別のもんに移って行くのを。テレビで初めてその変化の様子を見たときすぐに、あのときの浴衣姿の女の顔を思い出したさ。いや、初めは男の顔じゃった。年取ったり若くなったり色々してな、最後に美しい女の顔になったんじゃ。女は何も言わずに細っそりと白い手をわしの方に差し出した。そんでもってわしゃ反射的に持っていた餅をその手に載せた。そうしたら女はそのまま向きを変えて歩き去った。わしゃ動きもならず声も出せず、ただ前の闇を見てじっと立ちすくんでおった。どのくらい金縛りにあっていたもんか、やがてちょうちんを持って、お前のひいじいさんが迎えに来てくれた」
 居心地悪そうに夏子が身じろぎした。祖母が目を開けて夏子を見た。
「この話、須磨ちゃん以外は誰も信じてくれんかったが」
 祖母の面白い思い出話とは思ったけれど、でも何でこんなときに?
「その女の顔というのが、ほらお前がそこに連れて来た…」
 えっ! 夏子の顔を見ると、見る間にぐにゃぐにゃと目が吊り上がり、鼻が突き出て……。


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