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一夜【ショートショート 恋愛】

目が覚めると胸が苦しかった。久しぶりだ。最近は嫌なことがなかったから、この苦しさからも開放されていた。
起きなきゃ。会社へ行かなくては。体の重さと戦い、よろめきながら洗面へ行く。
疲れきった、ひどい顔をしていた。青ざめてすら見える。
そんな自分の顔を眺めていて、昨日の出来事を思い出した。

私は今の会社に中途で入社したばかりだ。入社してひと月経ったくらいか。
小さな会社だ。主にホームページの更新を期待されて入ったが、イラストレーターの使い方も教えると言われ、ほどなくして店舗のメニューなども作成するようになった。が、そんなのは氷山の一角。本当に人手不足で、のちの私はタイムカードの計算から、パソコンの修理まですることになる。私の入る前に社員が何人か示し合わせ、会社を興すために辞めたらしい。隣の同僚が、なぜか僕だけ声をかけられなかったと、何度も愚痴ってきていた。
今朝、私が買い付けに行った、ハロウィンのイベントで客に配るお菓子が届いた。それを見た社長は渋い顔をした。その顔つきを見て、すかさず上司は、北村君に任せましたので、と言った。私は絶句した。私は上司の言うとおりの買い物をしてきただけだった。
努めて平静を装ったが、その後はつまらないミスを繰り返した。

夕方会社を出たが、まっすぐに家へ帰りたい気分ではなかった。
何か食べて帰ろう。気を取り直すために、前から気になっていたダイニングバーへ入った。
一人だったので、カウンターへ通された。お腹は空いていなかった。とにかく酔ってしまいたかった。ビールとカルパッチョを頼んだ。
私は一気にビールを飲み干してしまい、焼酎のソーダ割りを頼んだ。結局ひと皿のカルパッチョを食べる間に、3杯のアルコールを飲みくだした。
彼が話しかけてきたのはその頃だったはずだ。
「いつも電車でお見かけします。きれいな方だなあと思ってました」
彼は自分の飲んでいたビールを私のコップに注いでくれた。
呆気に取られていると、乾杯、とグラスを合わせてきたので、私は慌ててグラスを持った。
私はもうすでにかなり酔っ払っていたのもあって、今日の仕事の愚痴を彼にぶつけた。彼は嫌な顔をせず聞いてくれた。
二人とも明日の仕事の事もあるので、20時半頃一緒に店を出た。
じゃあ、と去っていこうとする彼に私はキスをした。
彼は一瞬驚いた顔をしたが、応じてくれた。そして私の手をとって、何も言わず歩き出した。
公園で抱き合ってキスをした。激しいキスだった。二人とも酔っていたので、相手の名前も知らないのに、まるで何年も思い合ってきた相手にするようにキスをした。
「お願い、私を満たして」

仕事後なのに、シャワーを浴びることも忘れてキスを交わしあった。
そんな激しいキスの後だったから、彼の一つ一つの仕草が余計に丁寧に優しく思えたのを覚えている。
彼にとって、どうだったのかはわからない。けれど私は、こんなに体中が熱くなったのは初めてのことだった。

駅までまた手を繋いで歩いた。
今度は彼の方から軽くキスをして別れた。

そこまで思い出して吐き気がした。けれど吐くものが何もなかった。
連絡先すら交換していない。連絡先どころか名前すら知らないのだ。
行きずりの相手との、まるでその場しのぎの関係。
その時おぼえた快楽が大きかっただけに、私の今受けているダメージも大きかった。
もう二度と会うこともないだろう。むしろ本当に存在しているのかすら曖昧だ。けれど感触だけが生々しく残っている。
こんな時こそやることがあってよかった。昨晩のことに比べれば、仕事へ行くことなどどうということもなかった。私は支度をして家を出た。


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これを書いたときよりずっと、心は穏やかになっています☺

相変わらずエロスへの衝動はアリますが‥‥、多分体が元気になったんだろうと思います✨


春の雨、アスファルトの匂いがたってきて、ワクワクしました☔

もうほんとに春間近ですね❀

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