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曖昧になっていく記憶【ショートショート ミステリー】

最近頭がぼうっとする。
疲れてぼうっとするのを無理やり奮い立たせるような、嫌な気分ではない。
むしろすべての物事を淡々と眺めているような感じだ。
苛立たされたり、ムカつく相手もいない。
ただ、少しでもムカつく相手が現れたら、淡々としたまま始末してしまいそうな、そんな感覚は自分でもあった。それに対して罪悪感を抱かなさそうでもあると思った。

正月休みは、毎日朝から酒を飲んで過ごした。休み前とは違い、いい酒だった。
休み前、仕事の前日は地獄だった。職場に嫌味な先輩がいて、ベロンベロンになるまで飲まずにはいられなかった。この淡々としたすがすがしさは、休み中ならではのものかもしれない。

一人飲みの賑やかしに何気なくつけていたテレビから、ニュースが流れてきた。
ふうん、正月早々殺人とは物騒だな。俺は相変わらずの淡々とした心地でそれを眺めていた。酔っていたからなのもあるかもしれない。まるで下界のできごとを雲の上から覗いているような気分だった。

その時、被害者の名前が耳に飛び込んできた。
オオタミチヒコ。聞き覚えがある。ああ、職場の先輩と同姓同名だ。ふうん、同姓同名の人って結構いるもんなんだな。殺人なのに犯人はまだ見つかっていないのか。警察は何をやっているのだろう。
少し興味を惹かれ、テレビを眺め始めた。
すると玄関のチャイムが鳴った。正月早々勧誘か何かか。訪ねてくる親類も友達も心当たりない。面倒だし居留守を使おうか。そんなことを考えているとチャイムの主が呼びかけてきた。
「木下さん、○○県警○○署です」
警察?警察になりすました新手の詐欺か?詐欺にしても玄関先で警察などと叫ばれるのはいい気がしない。一言注意してさっさと帰そう。そう思いながら出ると、本物っぽい警察手帳などを見せてくる。
そして
「木下さん、ちょっとお話しを‥‥その服のシミはなんですか」
その男に言われて、昨晩から着たままのトレーナーを見下ろす。何か赤いシミがついている。昨夜は‥飲みに行って帰ってきて酔い潰れて、そのまま寝てしまったんだっけ。このシミはなんだったろう。カシスオレンジでもこぼしたろうか。昨日は、そういえばどこで飲んだろう。飲みに行く時点で酔っ払っていたから、どうにも思い出せない。

「お部屋の中を見せてもらえますか」
え、なんだこの犯罪者、警察を呼ぼう。
「ちょっと、警察呼びますよ」
「どうぞ呼んでください、失礼します」
詐欺師は俺を押しのけて上がり込んでいく。なんだ、こっちが酔っ払いだと思って。すぐに警察を‥
「木下さん、これはなんですか」
男は床に落ちているナイフを指さしている。これは‥記憶にない。何かの血のようなものがついている。料理でもしたのだろうか。
「昨日の夜どこにいましたか」
男はお定まりの台詞を口にした。昨日、昨日の夜は飲みに行ったんじゃないか、多分。
「飲みに‥」
「どこで誰と飲んでましたか」
そんなの覚えていない。
「オオタミチヒコさんはご存知ですね」
オオタミチヒコ?ああ、職場のなら知っている。でもさっきテレビで言っていたのとは別人だろう。
「職場のなら」
「そのオオタさんが昨晩殺害されたんです」
「え?」
殺された?何を言っているのだこの男は。俺が殺したとでも‥その時、昨晩の夢が蘇ってきた。橋の下、オオタと一緒に俺がいて、めった刺しにした。嫌な夢を見たなあと思ったのだ。昨日何かふと思い出し、オオタを殺してやろうと思ったのは確かだ。しかしオオタと飲みに行って、その後橋の下で‥なんていうのは、夢の話だ、こんなことを言うのも馬鹿げている。
「夢なら、見たけど‥‥」
俺はぼそっと口に出した。馬鹿げていると思いながら。
「そうでしたか、夢を。木下さんはオオタさんと親しかったとのことで、すみませんが被害者についてお話しを聞かせてほしいのですが」
「何か‥参考になるなら」
釈然としないものを感じながら承諾した。あれ、この男は誰だった?酔っ払っているからなのか、それすらはっきりしない。もしかするとこれも夢かもしれない。

その後俺はオオタ殺しで逮捕された。けれどもう酒はすっかり抜けているのに、記憶がはっきりしない。オオタを殺した記憶なんてもちろんないが、警察官の話を聞くそばから記憶が曖昧になり現実味がなくなっていくのが怖かった。
それを訴えても信じてもらえない。俺はどうなってしまうのだろうか。

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