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春の雨【ショートショート ファンタジー】

春の雨はさらさらと降る。小雨だから20分傘を差さずにいても、そんなに濡れない。それでも、仕事帰りに濡れながらみみを探すのはまいる。
最近私は目が見えづらく、動くものくらいしか見えなかった。帰宅するともうすでに暗かった。しかし玄関のドアをするっとみみが通り抜けるのは、うっすらと見えた。あれは本気で外へ出たかったのだ。おむかえなんかの時は、玄関でちょこんと待っている。
「みみちゃん、ぬれるから帰っておいで」
そう言いながら庭を探し歩く。
近づいたと思ったらすぐに逃げてしまう。私の手が触れるほど近づくことが肝要だ。猫って1メートルもあれば逃げてしまうから。
「みみちゃん、ぬれるから・・・」
壊れたレコードのように繰り返しながら捕まえようとするが、まだ遊びたいんだとみみは遠ざかった。遠ざかるのは想定内だったからいい。
しかしほんの少しぬかるみができているのが人間の目では見えなかった。私はぬかるみに滑ってまるでジャンプ台から滑空するような形になる。
「夜は人間には見えないんだから・・・」と呟きながら、私はどこかへ吹き飛ばされた。

目を覚ますと私は木漏れ日に照らされていた。大きな木の根元に倒れているらしい。小鳥のこえもする。
夜みみを探していたのは夢だったのだろうか。
ゆっくりと起き上がると目の前にちょこんとみみがやってきた。
「にゃー、お母さんにこっちのことばれちゃった」
みみはあとあしで立っていて、年末に母の作ったチョッキを着ている。これだけで3千円も毛糸を使ったのよと言っていたやつだ。
「にゃー、お母さんが離れたときに、こっちへ来ようと思ったのに」
みみは悪びれもせず言う。
「あなたがいなくなったら、私たちずっと探さないといけないじゃないの」
みみはぶんぶん首を振る。
「にゃー、そっちへ帰れば時間は元通り」
なんだか分からないけれど、普通のことのようにみみと喋っていた。ここがどこなんだかも分からないけれど、とりあえずみみに聞けば分かりそうだし。
「お母さん、こっちこっち」
みみが私の手を引く。
「おいしいんだよ」
みみについていくと、ガーデンテーブルと椅子があり、テーブルの上にはティーセットが用意されていた。
ピンクやオレンジのバラを見ながら、2人向かい合ってティータイム。紅茶はとても丁寧に淹れられたダージリン。お茶うけのビスケットはさくっと食べると口の中でとろける。メレンゲでも入ってるんだろうか。
明るい日差しの中、こんなのんびりと2人で過ごしたのは、いつぶりだろう。
「みみね、あんこも好きだけど、ビスケットも好きなんだよ」
にこっと笑いながら言う。
「そうね…ごめんね最近一緒にゆっくりできてなかったね」
食べ終わると、私の言葉にはかまわず、みみはまた私の手を引く。
「お母さん、ねー、お母さん、一緒に遊ぼう」
みみに連れられていくと、公園があった。隣同士ブランコに乗った。風が気持ちいい。
「お母さん、お母さん、楽しいね」
みみはとても楽しそうだったので、つられて私も笑顔になっていく。
「お母さん、お母さん、ずっと一緒にここにいたいね」
そうね。と返事しようとしたら、ブランコの鎖を持っていた手がはずれて、ぽーんと投げ出された。

みみが顔をなめるざらざらとした感触に目が覚めた。
ああ、つるっと滑って私、頭でも打ったんだな。
雨にぬかるみ始めた地面に寝転がりながら、私は思い出した。
みみはずっとそばにいてくれたらしい。ふわふわだった毛並みがびちゃびちゃに濡れている。
それに気づいて急いでみみを抱えて部屋へ入る。
私が目を覚まして、みみはとても嬉しそうにごろごろと喉を鳴らした。
2人でのんびりとお風呂に入ることにした。


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