漂う幻影 (4/11)

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 年が明けて3月。磯村はとある専門学校を訪れていた。高校を卒業後、プロの俳優を目指すべくその手の専門学校に進学した中学生時代の友人、永井祐太郎《ながいゆうたろう》が立つ舞台を観に来ていたのだ。今日は1年間学んできた成果を披露する修了公演という位置付けで行われる。さすがプロを養成する専門学校内に備え付けられているホールというだけあって照明などの設備は一通り完備されており様になっていた。キャパシティは約300人程が収容できる広さだ。
 偶然にも去年、伊藤の通う高校の文化祭で上演された台本と同じ作品だった。そういう縁もあって隣の席にはその伊藤も居る。自分が出演した台本を俳優の卵達はどう演じるのか楽しみで仕方がないといった様子だ。
「そういう学校だから当たり前だけど、こんな所で演技できるなんて羨ましいな〜」
「学校の体育館とはわけが違うよね。きっと楽屋とかもあるんだろうな」
「なにより照明とか音響、どうやら専用のスタッフがいるっぽいし。私、出番そんな多くなかったからBGM流す役したんだけど、それでも切り替えとか大変だったんだから」
 定刻通りに客電が徐々に落ちて、音楽が流れる。二人の役者が上手より出てきて物語は始まる……。

「永井さん、すごい面白かったね」
「うん、なんか不思議と祐太郎が出てくると笑っちゃうよね。他のお客さんも笑ってたし」
「私がやった時も本当はレポーターのオオクボさん、あんな風にやってほしかったんだけどね〜」
「言われてみれば。なんか祐太郎と比べると真面目にやり過ぎていたかもね」
「そう。普段、流れているニュース番組のイメージが離れないのか、こっちの方がリアルでしょうとかなんとか言って結局、聞かなかったんだから」
「現実では有り得ない事ができるのが演劇のいい所なのにね」
「でも、本人の性格的にもきっとそこまで殻を破る事が出来なかったんだろうね」
「ちなみに祐太郎は多分、無理してないと思う」

 磯村は終演後、アンケート用紙に永井が面白かったというような感想を書いた。ホール出入り口前には出演者達が来場した客に礼を言いながら送り迎えしている。せっかくなので永井に挨拶をしようと思うが3人ほどの友人に囲まれて話し込んでいる。その中の女性一人が永井の背中を豪快に叩いておそらく賛辞を送っている。やや乱暴だなと思った。磯村は知らない顔ということは高校で知り合った友達の可能性が高かった。そこに割って入る気までないので、どうしようかと立ち尽くしている時に永井がこちらに気づいてくれた。
「あっ、磯村。今日は来てくれてありがとう」
 3人に断りを入れて近寄って来る永井。磯村は永井のコミカルな部分が生かされていた、これは俳優に向いていると思うからこれからも頑張ってと簡単に感想を述べて束の間の会話を楽しんだ。
 永井との再会を邪魔しないようにという気遣いで、伊藤は一足先にロビーから離れて学校の出入り口前で待っている。その伊藤の元へ向かおうとしたが目の前に来て立ち止まってしまう磯村。なにやら見知らぬスーツを着た大人の女性と話しをしていた。
 断片的に聞こえてくる話し声でなんとなく察しがついた。あの女性はこの学校の関係者で伊藤は学校について説明を受けているのだろう。3分ほど話していただろうか、互いにそろそろという頃合いを感じ合って、笑顔で頭を下げて別れた。
 やや待ちくたびれたと思いながら伊藤に歩み寄る。
「なに、話していたの?」
「ごめん待たせちゃって。ここに居たらあの人に話しかけられちゃって。ちょっとこの学校について色々と教えてもらっていたんだ」
「きっと碧が高校生だって勘付いて話しかけたのかもね。少しでもこの学校に興味を持ってもらうためにってところじゃない」
「なるほど、そういうことか」

 お昼過ぎ、14時からの開演だったが上演時間は長くないためまだ空は明るさを残していた。来た道を戻るも、帰るには少し早いという事でこの周辺をふらついてみた。飲食店、コンビニが多く立ち並び昼食時や学校帰りの小腹満たしに何か食べたいと思ったら困る事はなさそうだ。
「さすが東京の中心にある学校だけあって周辺も賑やかでいいな〜楽しい学校生活が送れそう」
「カラオケもあるしね。帰りにカラオケなんて楽しいだろうな」
「そうだ。今こそカラオケ行こう。あの時、1曲も歌えなかったの心残りだったんだ」
 唐突に決まったカラオケだが磯村はあまり乗り気ではなかった。高校時代に2度、行った事があるが誰もが知っている曲を歌う事ができずに、今までの盛り上がりを押し殺してその場を明らかに静まりかえらしてしまった経験があるからだ。
 しかし伊藤はどんな曲を歌うのか興味はあった。文化祭でも素晴らしい歌声を披露したのでそれをまた見られるのも地味に嬉しい。自分はあまり歌わず伊藤の歌をもっと聴きたいという流れにもっていこうと思った。
 薄暗い部屋で、テーブルを囲むようにソファーが置かれている部屋かと思いきや座敷の部屋に通された。床は畳で和室と言っていい。こういう部屋は初めてらしく二人はこれだけではしゃいでしまう。
「碧からどうぞ。自分からいきたいって言い出したんだし」
「うん、わかった」
 わりと早く歌う曲を決めた。胡座をかいて座っている磯村に反して伊藤は立ち上がった。かなりやる気満々であった。
「(煌めくしゅんかんに捕らわれて……)」
 曲名を見ただけでは何の曲か分からなかったがイントロが流れてくるとピンとくるものがあった。『しゅんかん』ではなく『とき』、人気漫画『スラムダンク』のアニメでエンディング時に使われた事で今でも名曲として広く認知されている曲だ。磯村はそういえばこんな曲があったな程度にしか知らなかったが、伊藤が歌い始めるとまたあの時のように圧倒されてしまう。今回は間近で歌っているから尚更だった。原曲と同じように力強い歌声が響く。それはサビに入る所でピークに達して高音も見事に歌い上げて思わず鳥肌が立ってしまった。相当、歌い込んでいる事が分かるくらいこの曲を体に染みつかせていたようだ。声質もきっとマッチしている。知らない人が聴いたらこれは伊藤の曲かと思うくらいに。
 ふぅと息を吐き気持ち良かったというような顔をして座った。
「はい、じゃあ次は恭一」
「相変わらず上手いな。もう俺は碧の歌を聴くだけでいい気がしてきた」
「そうなの、じゃあ続けて歌っていい?」
 まさか建前でも遠慮もせず本当にそのままマイクを離さないとは思わなかったが、歌うのが本当に好きなのだろう。だがこっちの方が助かるかもしれない。やりたい事を純粋な気持ちで楽しんでいる姿は見ているだけでこっちも楽しくなるものだ。
 
 マイクを一度、持ったら離さない人を初めて見た。あれから伊藤は1時間歌い続けた。その選曲を見て自分が歌ったら似合う曲というのを把握しているような気がしていた。闇雲に好きな曲だからというだけで歌ったているとは訳が違う。ここを見てもただの音楽、歌うのが好きとは少し一線を画していた。
「ちょっと疲れた休憩。今度こそ恭一が歌ってよ」
 両手を畳に付けて天井を見上げる伊藤。汗が出ている事が伝わる。
「お疲れさん。じゃあ体力が回復する間、俺が」
 伊藤と比べて歌う曲を決めるのに時間がかかっていた。既に伊藤が個人的な趣味、全開の曲達を歌っているので誰もが知っている曲という縛りを気にする必要はなかったが、自分でも歌いやすい曲とはなんだろうと思うとどうしても時間がかかってしまう。
「早く決めなよ。退出時間まであと1時間切っているよ」
「わかった。そうだ、あの曲入っているかな」
 思い出したかのようにある曲が浮かんだ。ただその曲はマイナーな曲であったため入っているか不安もあるがタッチペンを動かすスピードが早くなる。
「あるのか。さすが」
 お目当ての曲はあったようだ。最近のカラオケに入っている曲の幅広さに驚きもしているような顔で決定ボタンを押した。液晶画面に曲名が表示される。
「星の……なんて読むの?」
星の棲む川ほしのすむかわ
 そう曲名を言うと伊藤を見習い磯村も立ち上がる。

 出だしから歌い始める曲で少し出遅れてしまったがなんとか持ち直す。そこからは磯村の柔らかい優しい歌声が響く。その声に伊藤は聴き入ってしまう。初めて聴く彼の歌声に、そして徐々に慣れてくると曲の世界に入って歌う姿に見とれてしまった。
 なんとか歌い切ったとホッとするように座りテーブルの上にあるドリンクを手にして一息つく磯村。それに伊藤は、「すごい良い曲、誰の曲なの?」
「グラスバレーってバンドの曲。だいぶ昔のバンドでもう解散しちゃったけど」
 それを聞くと急ぐようにスマホで検索した。早くもネット上に上がっている原曲も聴いているようだ。
「あっ恭一に声、そっくりじゃん」
「そう。俺もそう思ってこの曲を選んだんだけど」
「やっぱりまだまだ知らないだけで良い曲って世の中にたくさんあるんだね。良いバンド教えてもらっちゃった」
「ほんとそう思う。おかげで欲しいと思った曲が多すぎてCDを集めるのも大変だよ」
「それに、恭一もなかなか歌上手いじゃん。びっくりしちゃったよ」
「そう? ありがとう」
 新しく発見した彼の一面に伊藤は心ときめいた。ここからの残り時間は磯村のステージが始まる。これでほぐれた磯村は肩の力も抜けてのびのびと歌った。磯村も自分が良いと思った曲に興味を持ち、良いと共感してくれる伊藤には感心してしまい、嬉しくも思う。やはり二人は気が合うのかもしれない。


 その連絡を受け取った時にまだ自分が彼の頭の中にある事に驚いた。去年の7月、互いに気分悪く別れてしまい暫く連絡を取り合う事はないかもしれないと思っていた高梨からちょうど1年後、6月に再び連絡が来た。メールでやり取りする内容ではないと磯村は思ったので電話で詳しく聞いてみる事にした。
「あっ、メールの内容見てくれた?」
「見たけど、バンドのヴォーカルやってくれないってまた急だね」
「そうなんだけど、高校生の時に一度だけカラオケ行った事あるじゃん? それで磯村って良い声してるんだなってずっと思っていたんだよね」
「他に人いないの? だって大学内で組んでいるバンドなんでしょう」
「いないからこうして声かけているんだよ。磯村は経験ないから分からないと思うけど、けっこうバンドのメンバー探しって大変なんだからな」
「やった事はないけどなんとなく分かるよ。それでまともに活動する前から解散したバンドが三つくらいあるっていう話も聞いたし。じゃあとりあえず聞くけど、どういう活動をしていく予定なの?」
 伊藤という彼女が出来たとはいえ今まで日常の大半を占めていた学校という場所に行かなくてもよいという生活にはやはり物足りなさを感じていた。かといって学校が恋しいとは思わないが何か、刺激が欲しかった。特にこれといってやりたい事も人生の目標も決まっていない、それでバイトに打ち込む日々。この状況から抜け出したいとは思っていた。もしかしたらそのきっかけになるかもしれないと予感した磯村は困惑しているとはいえ明確に反対の意思は示さず話は聞いてみようという姿勢だった。
「高校時代の時みたいにコピーバンドから始めてみようって感じだよ。卒業ライブ観に来てくれたから想像つくと思うけど。もちろん磯村も俺も好きなバンドの曲も演奏していくつもりだから」
 自分の好きな曲を生演奏で歌える。悪くない話だと思った。楽器だとなかなか難しくても歌であれば周りが経験者でもついていけるのではないかという思いも浮かぶ。ちょうど以前、伊藤からも褒められて自信が付いている時でもある。
「なるほどね。じゃあ、もう一度聞くけどなんで俺なの? やっぱり大学なんだから学生の数は相当いるでしょう。それなのにわざわざ外部の人を選ぶというのは」
「磯村は真面目な性格で一度、引き受けてくれたらきっとそう簡単には投げ出さずにやってくれるだろうなって見込みがあるからだよ。だから最初はドラムとしてどうかなって思ってあの時、誘ったわけで。今更だけど俺のあの態度はないなって後になってから思ったよ、ごめん。でも、それは期待していた表れだと思ってくれたら」
「うん、分かった。どうなるか分からないけどやってみようか」
「ありがとう。助かる」
 その後、集まる日、その日までに練習しておく曲を数曲を決めて電話を切る。どうなるかは分からない、本当にそう思っても何かやってみるしかないと思い引き受けた。自分からはいくら考えても何も打開策は思いつかなかった。この選択をした先に何が待っているのか不安でもあったが、期待という意味で胸も高鳴る。この先が分かるなんてそうありはしない、何があるか分からない、それが人生だろう、そう内なる声が聞こえた。


 地元の駅に帰ってきて改札を出た時にすれ違い様に声をかけられた。
「あっ、磯村さん」
「西田さん。久しぶりですね。元気してます?」
「はい、私は。それよりも磯村さんの方は」
「大丈夫です。いつまでも落ち込んでいても仕方がないし。今は普段通りに過ごせていると思います」
「そうですか。良かった」
 磯村は西田麻里《にしだまり》に近況を話した。先ずは新しい彼女ができた事。
「ちょっと複雑ですけど、それでいいんでしょうね。また新しくスタートを切るためにも」
 逆に磯村はある人物の様子はその後どうなのか、あまり触れたくもない気持ちもあったがそうなると不自然な気がしたので聞いてみた。
「はい、まぁ普通に学生生活を楽しんでいると思いますけど。正直、本当のところはどうなんだろうとは思っていますけど。ちなみに去年、なんと学内で行われたミスコンでグランプリに輝きました」
「そっか〜それはめでたいな。でもそういう情報を後になってから知るような立場になっちゃったか。きっとあともう数年も経てば完全に過去、の事になっちゃうんでしょうね。それぞれ新しい環境に馴染んで、前に進んでいけば」
 どんな大きな出来事が起きても時が経てば次第に薄れていく。それによって助けられる事もあれば、その事実に寂しく思う事もある。磯村は、自分の場合はどっちなのか、微妙な立ち位置に居ると思う。忘れたくないようで、忘れなければ歩き出す事ができない。ある過去がまだ絶妙な力加減で尾をひいているのは間違いない。
「そうだ。あと、今その帰りなんですけど俺、バンドのヴォーカルをやる事になったんですよ。高校時代の友達に誘われて」
「そうなんですか。なんかすごい似合いそう」
「今日のセッションで手応えを感じて、いつかライヴを絶対にやろうという事にもなっています。近いところだとその友人が通う大学で秋に行われる学園祭なんですけど」
 その話を聞いて西田はある事を思いついた。
「それなら、私がそのライヴの様子を写真に収めるカメラマンを担当していいですか? 以前、言いましたよね、また磯村さんの事を撮りたいって」
「なるほど、それはいい。是非、お願いします」
 錆びついてもう動かないとまで思った歯車がいつの間にか少しずつ動き始めていた。こうして、たとえ無理やりだったとしても動き出して新しい景色の下へと行くしかない。磯村は少しずつ活力を取り戻していた。


 
 学生が趣味で、青春の一コマとしてやったというには些か違うような気がした。コピーバンドとはいえ並々ならぬ気迫を感じ取った。西田が感じ取ったこのステージを通しての感想だ。学内の体育館で行われたこのライヴは客入りも良かった。3つのバンドが出演したライヴだがその殆どは磯村達のバンドが目当てだったような気がする。
 そうなったのも、ライヴ前からバンドのツイッターアカウントを作り宣伝して西田もバンドメンバーの宣材写真を撮るという形で協力した。その効果もあり反応は徐々に大きくなっていく。要は主に磯村がカッコイイと誰もが思ったのである。ネット上に上げる写真はサングラスをしていて素顔を見せなかった。その敢えて隠したというのも、顔を見てみたいという欲求を高めて実際にライヴへと足を運ばせた。磯村は大学に通う学生ではなく普段は会えないのがよりそう思わせた。その期待を裏切る事なかったであろう今日のパフォーマンスである。これはスタートダッシュに成功したと言える。
 ライヴ後は片付けの後に打ち上げが予定されている。今日しかお目にかかる事ができない磯村目当てで多くの客は帰る事はなかった。
 西田は体育館に隣接する別棟に入り、壁に寄りかかって座り込みライヴの余韻に浸っている磯村に労いの言葉をかける。
「お疲れ様でした。すっごい良かったです。あんな激しく歌うなんて、なんか意外でした」
「それは、やっぱり曲がそれを求めているから、そう歌っただけで。そう考えると歌手も俳優みたいだね。曲によって色んな顔を見せるという意味では」
「あぁ、なるほど、その例えは分かりやすいですね」
「西田さん、今回はありがとうね。西田さんがカメラマンで協力してくれたから視覚的にも良い宣伝ができて、今日の盛り上がりがあったと思うからほんと感謝している」
 高梨が歩み寄り西田に礼を言う。この高梨も独特のオーラを醸し出していたと記憶している、派手なパフォーマンスをしていたわけではなかったが余計な事は一切せずに黙々とギターを鳴らしている姿は修行僧が座禅しているかの如くであった。ギターといえばヴォーカルと肩を並べる目立つパート。その目立ちたいという欲を見せずにある種の信念を持って演奏する姿勢は功を奏して人目を惹きつけた。
「いえいえ、私も好きでやらせてもらったのでこんな機会を頂けて光栄です」
 機材などの片付けを終えて打ち上げ会場へ向かう一同。大学の中庭を歩いていた時に女性が駆け寄る。
「恭一!」
 伊藤であった。この女性が磯村の新しい彼女、西田は初のご対面であった。ボブヘアーがよく似合っている、女性にしては背が高めの人だった。彼氏の雄姿を見て嬉しくならない彼女はいない。より一層、惚れてしまっただろう。興奮しながら今日の感想を早口気味に言っていた。
 こうして直接、現実を見せられると本当にあの事は過去になってしまうのだと磯村が言っていたように西田も実感する。もう振り返る、思い出す事もなくなっていくのだろうか。それは間違いなく寂しさが大半を占めていた。磯村も同じ気持ちのはずである。
 もしもここに——そんな事も考えてしまう。本来はそうなるはずであったと言っていい。
「(こんな事、考えてもしょうがないか)」
 磯村の前で居ない人の事を考えるのはもう止めよう、そう誓った。

つづき


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