日記(6) 情報、状況が更新される日々


映画や演劇は人生を2時間なり、3時間に凝縮されたものと教えてもらった事がある。だから短時間で物語はどんどん進行していくし、観ている人を飽きさせないと。

だけど実際の人生は違う。1年の大半は平凡な日々の繰り返しで、そんな一大イベントと言われるようなものは数えるほどしかない。

そんな常識が覆されているのが今なのかなと思う。おかげで今、我々はある程度の緊張感の下、暮らしている。街を歩く時、あまりいたずらに公共スペースには触らない方がいいと意識する。咳を、くしゃみをしている人を見かけるだけでいつもはない反応をしてしまう。

さて、一息ついてスマホをチェックすると今日の感染者数は何人、昨日を上回るや、コロナウィルス対策の新しい案が分かってきた、まだ幼い子供達も亡くなるという事例が報告される・・・。気がつけばあの東京五輪延期という特大ニュースでさえいつまでも構っている暇はなく(おろらくこんな大イベントが延期になるという事はそれだけの緊急事態なのだろうけど)もう遠い事のように感じられて、志村けんさんもあまりにも寂しい最期を迎えた。

本来であればもっと報道番組がそれ一色に染まるようなニュースも1日でさようならされてしまうこの非日常、良いか悪いかはともかくまさに映画、演劇のような刺激的な日々である。

フランスではこの状態を『戦争』と表現した。なるほど、戦争は個人的には昔話のような遠い出来事としか捉えた事はなかったけど僕のような無力の一般市民はこの様な心境だったのかもしれないと思った。

戦争も日々、状況は変わっていくという意味では変わらない。病院の様子を見れば負傷した兵士が運び込まれている様子さながらで助かる人、助からない人と選別までしている。自分の日常を過ごしながらも今、戦況はどんな感じなのか気にはなる。そして、いつ自身にも危険が迫ってもおかしくはない事も共通している。

ましてや今はインターネット、SNSが当たり前の時代だ。情報なら大量に入ってくる。その気になればこれをチェックするだけでも2、3時間は過ごせる。それが時に悪い方向に作用して、気分が悪くなったり、落ち込んだり、そうでなくてもこの情報を下に、自分に今出来る事は何か?を考える。

正直疲れる。なら止めればいいと思っても、その中に身を守るのに役に立つ事があるかもしれないと思うとそうもいかない。なんだか試されてる気分にもなる。あなたはどうするのか?、どの行動を選ぶのか?と。

自分の、他人の命が、健康がかかっている以上は己の欲求だけを満たす事ばかりを考えるわけにはいかないはずだが、そんな事が頭の中にある人ばかりではない、非常識な行動を取る人もいる、それを見て嘆くのにも疲れてきているかもしれない。

平時には刺激が欲しいな〜と繰り返し思っていたけど、こんな刺激なら平凡な毎日の方がマシだ。でも、じゃあどんなものを求めているのかと聞かれても実は明確に答えられなかったりもする。

まだ出口は見えない暗いトンネルの中を歩いている、やがてそんな日々にも慣れて、麻痺してと言ってもいいかもしれない、もうどんな事になってもあまり驚かないような感覚になっているかもしれないな。

非日常だったはずが、それが当たり前になってしまう恐ろしさ。この経験をプラスに、成長できるチャンスだと、そんな風に思わないとやっていけないな。

今はとにかく自分が感染しない、或いはうつさない事だけを考えて、そのために最善の行動は何かを考える事に集中しよう。

最後に以前の日記でも書きましたが、そんな時の癒しは何か?と言われたらきっとそれは音楽であったり、読書であったり、テレビゲームであったり、普段から嗜んでいる趣味、娯楽だと思う。こういう時こそ人間は普段の日常を求めて安心しようとする、その多くに芸術は関わっているはず。だから日本もこの分野を蔑ろにしないでほしい、この道を歩いてきた者の一人として。




現在「自分のビジネス」を構築中なのでこれはためになったと感じてくれましたら是非サポートをお願いします!