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砂漠と死海の国ヨルダン、土地を奪い合う宿命の文明交錯地

聖書にも登場する古代人、アモン人が首都アンマンの語源となっている。

ここは、メソポタミアとエジプトという文明の発祥地にはさまれたド真ん中。
アッシリア、バビロニア、ペルシア、ギリシャ、ローマ、イスラム、と名だたる巨大国家によってめくるめく支配権が争われ、錯綜した歴史を歩んできた。

アモン人は、古代イスラエル王国を築いたヘブライ人と敵対していたが後に吸収された。今も昔も変わらぬ土地争いの宿命を感じさせる。

三宗教の聖地エルサレムはここから100kmほど西。
エルサレムまで行かずとも、中東が文明の交錯地であることがよくわかる。

2012年にヨルダンを旅した時は、1ディナール=109円だった。
2023年現在、1ディナール=213円。
もう終わりだねこの通貨。

ヨルダンといえば、入場料がヤクザで悪名高いペトラ遺跡。
2012年に訪れた時は、50ディナール(5594円)。
当時から高すぎだろってブーブー文句を言っていた。
またさぞかし値上げしたのだろうと思ってチェックしてみたら、現在も変わらず50ディナール。
しかしこれを現在のレートで換算すると、なんと10676円。
ただ遺跡を見るだけで万超え。
もう終わりだねこの通貨。

街の通りではアラブ特有の香料が漂い、市場の小道はスパイスの香りで満たされている。

イギリス統治時代からの影響か、英語の通用度はとても高い。
アラビア語は一切話せなくても旅行する分には問題ない。

すれ違うヨルダン人から幾度となく、"Welcome to Jordan!"と言われる。

感触としては、ヨルダンはこの11年で物価感以外の変化はあまり見られない。

標高800m、ネボ山。
預言者モーセが、ここから約束の地カナンを眺望したという。

モーセなんておとぎ話のような存在だけど、ここに立つと妙にリアリティがこみ上げてくる。

眼下には死海と、霞んでいてはっきりとは確認できないが、死海に注ぐヨルダン川、そしてその向こうにエルサレムがある。

カナンの地とは、現在のパレスチナ。
パレスチナとは、ヘブライ人到来以前から住んでいたペリシテ人に由来している。
ペリシテ人を駆逐した後に古代イスラエル王国が成立、つまりヘブライ人も決してこの地の先住者ではない。
ふつうにここに暮らすだけだったら「神から与えられた約束の地カナン」なんてエピソードは必要ない、自分たちがここに住む正当性としてわざわざ神の後ろ盾を持ち出すということは、やはりここは宿命的に土地争いの場なのだろう。

たまたまBuddy Guyの「Everybody's Got To Go」を聴いていたら、「Across that River Jordan」というフレーズが聞こえてきて驚いた。
Curtis Mayfieldの「People Get Ready」の詩にも「Train to Jordan」というのがあるし、ブラックミュージックにおいて「ヨルダン川」というのはメタファーとして定番になっているようだ。

アメリカ南部の奴隷州からオハイオ川を渡って北部の自由州をめざした黒人たち。
かれらはそれを、エジプトからヨルダン川を渡って約束の地カナンをめざす聖書のプロットと重ね合わせた。

日本がつくった橋。

ヨルダンと日本の関係は非常に良好。
石油資源もなく水資源も極めて乏しいヨルダンを長年にわたって援助しており、王国というのもあって王室・皇室の友好関係も築かれている。

ヨルダン人に「どこから来た?」と聞かれて「日本」と答えると、満面の笑みを見せてくれる。
先人たちが築いた友好関係の甲斐あって、日本人はビザフリーでヨルダンに入国できる。

世界一の低地まで長~い下り。

死海は白亜紀までは外洋とつながっていたが、海底隆起によって閉ざされた海となった。

降雨量はごくわずかのきわめて乾燥した砂漠気候、流入する河川はヨルダン川のみ。
流入量より蒸発量が上回るため、年々湖面が低下して世界一の低地となった。

海抜0m、死海はまだまだはるか下。

他のどの海とも湖とも類似しない、独特のオーラを放っている。

現在も湖面は低下しており、特に近年はヨルダン川の灌漑の影響で10年で10m以上のペースで低下し、現在の湖面標高は-430m。
2012年にここに来た時より10m以上も水位が下がっているのか。

面積も縮小しており、この60年で40%減。
現在は琵琶湖より小さい。
塩分濃度は海水の10倍、水量減少すればさらに濃化していくのだろう。
一部の菌類を除いて生物は存在しない。

いずれ枯渇してデスバレーのようになるのか、それともウユニ塩湖のようになるのか。

アメリカのデスバレーは最低標高-86m。
4年前の同じく11月に走行したが、暑かったしやたらと喉が乾いた記憶がある。
「死海」も「デスバレー」も、これ以外のネーミングはありえないドンピシャ。
海抜以下の土地は、生命を寄せ付けない死の地。

街も店もなく、口渇に耐えながらひとり走る。
半端なくハエがまとわりつく。

対岸のイスラエルに沈む日。

海抜-330mの街。

Google Mapsによると、街はずれの一角に宿があるということで向かってみたのだが、そこにはゲートがあり、関係者以外は立ち入れないエリアのよう。
門番が僕を止め、「ここに宿はない、立ち入りも禁止だ」と言う。
またGoogle Mapsにだまされたか。

彼は僕が日本人だと知るとニッコリと笑い、
「水はいるか? 腹減ってるか? 中へ入りな」
と入れてくれた。

なんとここでフリーディナー。

「これあなたの食事なんじゃないの?」と聞いたが、「気にするな、いいから食え」と。

彼に宿の場所を教わって、そこへ向かったのだが、泊まることはできず。
今日はもうこれ以上は移動できない、たまたま近くにあった廃墟へと逃げ込んだ。

まもなく日没。
ハエの猛襲から蚊の猛襲へと切り替わる。
暑い。
無風。
喉が乾く。
汗でベトベト。
最悪の環境だが、どうしようもない。

時々、人が通る気配。
バレないよう、息をひそめる。

しかし、バレた。
若い男二人が僕に気づいたようで、ライトを照らしながら廃墟に入ってきた。
当然警戒した様子だったので、正直に事情を説明。

かれらはパキスタン労働者で、この付近のバナナ畑で働いているそうだ。
しばらくなんやかんやと話し合った後、別のパキスタン人がやって来て、
「ウチへ来い!」
と招いてくれた。

ウェルカムチャイ。

こんなおいしいチャイは初めて。
ミントの効いたパキスタンチャイ。
とてつもなく喉が乾いていて、やかん2杯分いただいた。

パキスタン人のこういうストレートな親切心はよくおぼえている。
国や民族を越えた、イスラムというつながりが世界にはたしかにあり、イスラム特有のこの感触を僕は知っている。
突然現れた得体の知れない旅人を躊躇なく迎え入れてくれる、このホスピタリティを幾度となく享受してきた。

25人のパキスタン人がここで暮らしているという。
子供もいるし、ヨルダンで生まれ育ちながらパキスタン人のコミュニティが形成されている。
イスラム教であること、英語の通用度が高いこと、などからもパキスタン人にとって働きやすい環境なのだろう。

しかし全員男って、、、
女性もどこかにいるはずだと思うのだが、僕の前に姿を現すことはなかった。

誰もが僕を客人として丁重に接してくれて、ここは安全だから所持品の心配もしなくていい、安心して休んでくれ、と言ってくれた。

海抜0mまで上昇。

多少は空気がフレッシュになった感もあるが、それでも11月とは思えない暑さで、日中は30℃以上。

時々現れる貴重な日陰。

キャンプするなら橋の下。

星がきれいだった。
流れ星も見た。

砂漠気候で生き抜いた一神教。
酒を飲まないのも、豚を食べないのも、土地をめぐって争うのも、この厳しい自然環境下では多くの人口を養えないため。
多神教を認めず一神教となったのも、過酷な環境下ではより強力に社会を結束する必要があったため。
大量の人口を養える環境で生きてきたアジア人は、生き抜くために土地を奪い合うという歴史的記憶が希薄で、特に海に守られた島国にとって、この地で生き抜く人々を理解するのは容易ではない。

ヨルダン唯一の港湾都市、アカバ。

砂漠と死海の国ヨルダンだが、ギリ内陸国ではない。
紅海の一部であるここアカバ湾で、わずか30kmほどの海岸線で海と接している。
アカバ湾の最奥部では、エジプト、イスラエル、ヨルダン、サウジアラビア、の4ヶ国の国境がひしめき合っている。

10月19日、イエメンの反政府組織フーシがイスラエルに向けて巡航ミサイル3発とドローンを飛ばしたが、米軍駆逐艦によって紅海上で撃墜された。
フーシもそのバックにはイランがついている。

画像の右前方がイスラエル、左前方がエジプト。

夜の光量はそのままGDPに比例するという説がある。
現在世界最悪のガザはここから270kmほど北、光といったら爆撃の光ぐらいの闇なのだろう。

滞在していた宿に、中国人の女性旅行者がやって来た。
イスラム系を数ヶ国、ソロで旅している。
彼女が外出する際は、僕が付き添うこととなった。
イスラムテイスト強めの国では、若い女性は旦那や父親などの同伴なしに単独で出歩くものではない。
パキスタンを旅していた時も、トルコ人の女性旅行者に頼まれてしばし旦那役として同伴したことがあった。

アカバもそこそこツーリスティックで外国人はめずらしくないが、ほとんど欧米人だしその多くは夫婦や家族で行動している。
アジア人の彼女は異彩を放っており、現地の野獣どもを刺激するようで、僕が同伴していても騒ぎ立てたてられたり接近されたりした。
指一本触れさせぬよう全方位に神経を尖らせ、気分はSP。

しばし伴にしたが、彼女の行動にはビックリさせられることが多く、なんちゃってSPとしてはハラハラさせられた。
長いこと旅して変に慣れてしまった僕は、無意識にトラブルを回避する選択肢をとるような無難な人間になってしまっていた。
こういう向こう見ずな若き旅人と出会うと、初心に返らされるし、目一杯元気をもらえる。

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