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アラビア半島を横切ってペルシャ湾へ、砂漠気候で生き抜く人々の独自の生き様

標高600m、首都リヤド。

極度の車社会。
キチガイじみたクラクションが鳴りやまない。
ガソリン安いだろうし、夏は死ぬほど暑いだろうし、車以外の移動手段は根付かない。
首都中心部には自転車レーンがあったり電動キックボードのシェアライドもあるようだが、ほぼ利用されていない。
歩道は路駐車で遮られ、ジャマでしょうがないが、歩く人さえあまりいない。
渋滞問題やCO2問題で非難されようが、車離れが起きそうな気配はない。

やはり産業は栄えていない印象。
街並みは立派でも、趣味娯楽エンターテイメント等、商業的活気はない。
店はビル内でショッピングモールとなって無数に点在しているようだが、ブランド物とか飾り物ばかりで退屈。

サウジアラビアでは、音楽が聞こえてこない。
厳格なイスラム原理主義においては音楽が禁じられている、という話は聞いたことがあるが、おそらくそれは行き過ぎた解釈で、戒律としてそのような決まりはない。
でも実際この国では、店内のBGMはなく無音だし、車はクラクションを鳴らすことはあっても爆音BGMを鳴らすことはない。
そんなサウジアラビアでも、近年はミュージックスクールが出現したりしている。

次回の万博開催地は、リヤドが選ばれた。
ちょうどVISION2030の年ということもあり、他候補の韓国イタリアをおさえての圧勝だったそうだ。

市街中心部以外は、メインロードは高速となる。
道路の構造は歩行者自転車の存在を想定しておらず、分岐と合流の連続で車の流れが途切れず、自転車で走り抜けるのはとてもおっかない。

ようやく都市圏を抜けて、安全快適な砂漠ロードへ復帰。

また車が止まり、アラビア語オンリーだがニコニコと人の良さそうなおじさん。

助手席の奥さんが、なんと英語で話してくれた。
「あなたはサウジアラビアで僕と話してくれた初めての女性です」と言ったら、
「サウジの女性だっていろいろよ」と言われた。
なるほどー。

すごくオープンな方だったので、ダメ元で写真をお願いしてみたら、快くOKしてくれた。

差し入れドッサリ。

定番のドライフルーツ。
ナツメヤシの実で、デーツと呼ばれる。

まろやかでコクがあり、強い甘味。
プラムに似てるかな。
アラビックコーヒーとの相性がとても良い。

せっかく気分良く進んでいたのに、またしてもパトカーによるストーキング開始。
一気にストレスMAX。

走行中も休憩中も、すぐ真後ろにピッタリとくっついてくる。
無礼で無神経な警官のふるまいに、不機嫌モードMAX。

声を荒げて怒鳴ってしまったりもしたが、英語通じないし、かれらは僕がイラついている理由すらもまったく理解できない様子。

これはもうどうにもならん。
追跡されるのはメインハイウェイ上のみだということはわかっている。
この区間はメインハイウェイしかなく、しばしの辛抱。
ローカルロードが現れるや逃げこみ、ようやくひとりになれた。

大きなナツメヤシの木の下で。

降水確率、0%。
テントいらずの星空キャンプ。

毎日毎日、夕日が身に沁みるぜ。

旅しててよかった。

オアシス。

紅海からアラビア半島を横切って、ペルシャ湾へ到達。

アラビア半島は、アフリカ大陸から引き裂かれてアジア方面へ移動中。
このプレート移動によって、ペルシャ湾やカスピ海の海底がギュッと押されて褶曲し、地下に空洞が形成される。
その地下空洞に、さらなる奥底から石油が浮上してたまり、油田となる。
よって、ペルシャ湾やカスピ海では石油ガッポガッポ、逆サイドの紅海では海底が引き伸ばされて石油がたまる余地がない。

1960年代には日本企業がペルシャ湾で相次いで油田を発見し、開発に貢献した歴史もあって、日本と中東諸国の関係は良好。
現在日本が輸入している原油の9割以上がここペルシャ湾から来ている。
対ロシア制裁の影響もあり、日本の原油輸入の中東への依存度は100%に近づきつつある。

アンマンのホステルで出会ったパキスタン人にお世話に。
彼、ナイームはサウジアラビアの大企業で働いており、もう20年もサウジアラビアに住んでいるそうだ。
「サウジアラビアに来たらぜひウチに泊まりに来なさい」と言われて、連絡を取っていた。

ホスピタリティあふれる人で、「いくらでも好きなだけ泊まっていきなさい」と言ってくれて、食事も三食用意してくれる。

サウジアラビアでは基本毎日走りっぱなしで、街に着いても観光っていう感じでもないし、ここではひたすら休養。
安宿もまずないし、ゆっくり休ませてもらえるのは本当に助かる。

ナイームも、敬虔なムスリム。
家にいる時でも街を歩いている時でも、お祈りの時間になると「ちょっと待っててくれ」と言って最寄りのモスクまで行き、しばし戻ってこない。

僕は好き嫌いなく何でも食べる人間だが、唯一、辛いものだけは絶対的にムリ。
サウジアラビア人はそれほど辛党ではないと思うが、ここにいる多くの労働者たちはカレー文化圏出身で、レストランも辛いものばかり。
僕はカレー大好物だけど、言うまでもなく甘口限定。
これがナイームを困らせてしまい、なんとか辛くないものが食べられる店に連れて行ってもらった。

なんだか物足りなさそうで、申し訳なかった。
こういう食文化の人は辛いものが好きというよりは、辛さは当然あるべき不可欠な刺激のようだ。

ナイームも旅行好きで、ヨルダンで僕と出会った後、エジプトまで行ったそうだ。
彼は日本にも行きたがっているのだが、パキスタン人が日本へ行くにはビザが必要、ビザ申請には旅程表、残高証明、ホテルの予約証明、出国チケット、レターなど、嫌がらせかと思うほどハードルが上げられている。
彼はこれらを用意してビザ申請したのだが、なんと認可されなかったという。
理由は不明。
ひどいものだ。
労働ビザや移民難民なら話は別だが、観光に関しては日本はもう旅行者の国籍を選べるような立場ではない。
もっとオープンになるべき。

次の街では、サウジアラビア人の邸宅でお世話に。
大きな家で、2〜3世帯の家族親族が同居している。

ご主人はアメリカ留学経験もあって英語が話せる。
今まで謎だったサウジアラビアのあれこれについて質問しまくった。
「家の中も男女別になってるの?」と聞いたら、「いや皆一緒だよ」と言う。
でも僕が立ち入りを許されたのは一室だけで、家の全貌を見させてもらうこともなく、子供は例外として他の家族と会わせてもらうこともなかった。
一度奥さんがお茶を運びに来てくれたが、決して僕の前に姿を現すことはなかった。
やはり女性との接触はタブーなのだ。

3人の子供がいて、小学校に上がる前から英会話スクールに通っている。
6歳の長女は上手な英語を話し、僕が日本人だと知ると「コニチハ」と言った。
4歳の長男がそれをマネして「コニチハ、コニチハ」と大はしゃぎして、すごい懐かれた。
アラビア語しか話せない警官とは大違い、時代は変わり、ジェネレーションギャップも拡大していくのだろう。

結婚相手は、両親が見つけてくるそうだ。
婚前に会うことが許されるのは一度だけ、お互いの顔を見て、その後は電話やチャットだけが許される。
しばらくやり取りして、もし気に入らなかったらお断りすることもできる。
一夫多妻も認められているが、よほど経済力のある層のみで、そこまで一般的ではない。

またえらいフレンドリーな人から声をかけられた。

差し入れドッサリ。

近頃は道路下に穴が開いておらず、地上キャンプになりがち。

通りすがりのカメラマンがカッコ良く撮ってくれた。

塩地キャンプ。

美しい朝。

無人のオアシス。

最後のサービスエリアでは、イエメン人に声をかけられて食事をごちそうに。

サウジアラビア。
砂しかないようなこの土地で、どれだけ驚かされたことか、どれだけ心動かされたことか。
砂しかないからこそ人々はこのように生き、このように生きるからこそかれらはこの地で勝ち抜いてきた。
気候、地理、宗教、そして石油。
すべては環境の産物、この奇妙な国は今の自分にはとてもしっくりくる理にかなったものとして映り、そして心からこの地の人々に敬意を表したい。

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