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シルクロードで栄えたオアシス都市、イスラム建築が輝くウズベキスタン

シルクロードの代名詞ともいえるウズベキスタン。
古代より交易地として栄えたオアシス都市群が今も生きている。

サマルカンド。

どっしりとした風格、それでいて緻密で、均整のとれた美しさ。
通るたびに足を止め、みとれてしまう。

紀元前からの歴史を持つ古都だが、建築物は8世紀のイスラム化以降のもの。
13世紀にモンゴルによって破壊されたが、ティムール帝国の都となって復興し、モスクやミナレット、神学校、天文台、墓廟などが建設されて再び栄華を迎えた。

空の青にとけこむサマルカンドブルー。

ペルシャの顔料と中国の陶磁器が融合して生み出されたこの青は、まさに文明の十字路を象徴している。

こんな人の多いところで、自転車やらセグウェイまがいの乗り物やらをガンガン乗り回している。
クレーム大国日本だったら即規制だろうな。

夏のサマルカンド。

冬のサマルカンド。

イスラムだけど、クリスマスツリー。

ブハラ。

静かだ。
イスラム教徒でなくとも、安らかな気持ちになれる。

日本語を話すウズベキスタン人がけっこういる。
日本語でツアーガイドする人に話しかけられたり、通りすがりの人に「日本語を教えてくれ」と言われたり、通りを歩いていても、
「コンニチハ」
「ドウゾ、ドウゾ」
「ミルダケ、ミルダケ」
と声をかけられる。

イラン、トルクメニスタンと並んで、ウズベキスタンも通貨問題児。
公定レートと闇レートがあり、その辺で紙袋を持って立っている闇のおっさんと両替する。

US$200を両替したら、55万スムが来た。

最高額紙幣が1000スム(42円)。
US$200だと、1000スム紙幣が550枚来る。
どこにしまうんだよ、これ。

これじゃATMが普及しないわけだ。

ただし現在はだいぶ改善された。
レートは統一され、5万スム(494円)や1万スム(98円)などの高額紙幣が新たにつくられたので、そこまで分厚い札束にはならなくなった。
一部の高級店ではクレジットカードが使えるようだが、ATMはまだまともに機能していない。

何にしても、イラン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの3国はカードは使えないものとして、十分な額のUSドルを事前に用意しておかないと大変なことになる。

それからもうひとつ、やっかいなこと。
ウズベキスタンでは、宿泊するすべての箇所で滞在登録が必要。
宿でやってくれるのでこちらは何もせず、滞在登録書をもらって保管し、次の宿泊地でそれを見せるだけでいい。
しかし自転車旅の場合、野宿や民泊せざるをえず、滞在登録をもらえない時がある。
1日分ぐらいなら欠けていても見逃してくれるが、2日以上のブランクがあると、宿で宿泊拒否されることがある。
ソ連時代の、国家がすべてを管理しようとする社会主義の名残りと思われるが、これも年々形骸化しつつある。

ヒヴァ。

ここは1年のうち300日が晴天と聞いたが、3日連続で曇天、さらに雪も降った。

ヒツジのミートパイ、サムサ。

アツアツでジューシー。
最高。

日々、「サケ、サケ」と言いながらウォッカを注がれる。

旧ソ連の中央アジアでは、人と出会うとあいさつ代わりにウォッカを交わす。
酒を飲まない僕には強すぎるのでチビチビ飲まざるをえないのだが、一気に飲み干すのが礼儀のようだ。
絶対ムリ、むせてしまう。

イスラムでは酒はご法度のはず?
もういいでしょう。
コーランという絶対の教えがあるとはいえ、一様に型にはまらず、その土地ごとに文化は形成されていくものだ。

ウズベキスタンに限らず、中央アジアには共通の定番メニューがある。

ピラフと語源を同じくする、プロフ。

上にヒツジ肉が乗っている。

ラーメンと語源を同じくする、ラグマン。

一見うどんだが日本のとはだいぶ食感が違う。

マンジュウと語源を同じくする、マンティ。

サムサとマンティは、調理方法が違うだけで構造は同じかな。
ジョージアで食べたヒンカリもこのルートで伝わったに違いない。

カラカルパクスタン共和国という自治区の屋台で、ピロシキ。

チャイは、紅茶に近いものもあれば中国茶に近いものもある。

どこへ行っても、旅人は客人としてもてなしてくれる。

しかし例によって、いつものお決まりの質問、
「なぜひとりで旅してる? 奥さんは? 子供は? 歳はいくつだ? なぜ結婚しない?」
かれらにとって、とっくに成人した者が結婚もせずひとりで旅行をしているというのが、本当に理解しがたい異常なことのようだ。

僕は、何の迷いもなく自然にこういう風に生きているので、改めて「なぜ?」と聞かれても返答に困ってしまう。
結婚は考えたこともないし、したいと思ったこともない。
義務でもないし強制されるものでもないから、別にしなくていいでしょう。
旅はひとりでするもの、誰かと一緒にというのは考えられない。
なぜそこに疑問を抱くのか不可解、自明の理とも思えることを、英語がまったく通じない人たちに説明を求められたってムリだ。

でも日本人に日本語で聞かれたとしても、やっぱりうまく答えられる気がしない。
何かをする理由を説明するのも、何かをしない理由を説明するのも、ピタリと的を得るような言葉がいつまでも見つからない。

ウズベキスタンは、世界にふたつしかない二重内陸国のひとつ。
海へ行くのに少なくとも2回は国境を越えなければならない。
川は海に到達することなく消失する。

自転車も凍った。

ブレーキもシフトチェンジも機能しなくなってくるので、工具で氷をガツガツ削り落としながら進む。

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