中央アジアの辺境タジキスタンで日本語を学ぶ学生たちとの交流
山国タジキスタンへ。
ヒマラヤから連なるアジアの大山脈の西端に位置する。
国土の半分が標高3000m以上あり、7000m級の高峰を4つ有する。
環境が変わると、人の気質もガラリと変わる。
村を通るたびに子供たちが興奮して集まってくる。
人気のないところで休憩していても、すぐに子供たちがワーワーやって来て、ひとりにさせてくれない。
他の中央アジア諸国の言語がトルコ語系であるのに対して、タジク語はペルシャ語系で、ペルシャ語話者とは意思の疎通ができるほど似ているという。
ペルシャ帝国時代は現在のイランからアフガニスタン、タジキスタンにかけてペルシャ領だったので、この3国は言語に共通性がある。
ただしタジク語はアラビア文字ではなくキリル文字、タジク人はシーア派ではなくスンナ派が大多数。
民族的にはペルシャだがトルコ系とも交わり、アラブやモンゴルにも支配され、ロシア帝国~ソ連領だったので皆ロシア語も話し、そして中国とも隣接しているため近年はチャイナマネーも流れ込んでいる。
人の往来を拒む険しい山岳地帯がこんなにもミクスチャーだとは。
宿のない小さな村で、いきなり民家に行って1泊させてもらえないかとお願いしてみたら、難なく受け入れてくれた。
自家製焼き立てナンの威力。
しかし、まるで我が子のように僕をもてなしてくれたこのお母さんが僕と同い年であるという現実に少々かなり動揺を隠しきれないでいる。
息子。
最初、彼に「英語話せる?」と聞いたら得意気に「YES!」と答えたのだが、実際ほとんど話せずすぐにロシア語に切り替えられた。
これぐらい堂々としてていいと思う。
僕はいまだに「英語話せる?」と聞かれると「少しだけ」と控えめな答え方しかできない。
なんだかんだで3泊もしてしまった。
山はさらに険しく。
標高2700mの峠に現れた全長5kmのトンネル。
イラン製のようだ。
僕が越えたトンネルで過去最長はノルウェーの6.87kmの海底トンネルだが、先進国ノルウェーのトンネルは排気設備がちゃんとしていたし、車の質も悪くなかった。
ここは違う、マスクをして挑む。
サイクリストにとってトンネルは恐怖。
ただ、このトンネルの場合は交通事故の危険性よりも排気ガスが脅威。
トンネルの5kmはとても長く感じる。
殺人的な排気ガスで、寿命が5年縮んだ気がした。
トンネルを抜けると、、、
イラン製の次は中国製のトンネル?
下って下って標高700m、首都ドゥシャンベ。
知人の紹介で、ドゥシャンベの言語大学で日本語を教える先生方と出会う機会をもらえた。
「喰種」って何だよ。
先生、任期満了でお別れパーティ。
日本語でスピーチする学生たち、立派だ。
タジク語を話す日本人はごくごくまれだろうが、日本語を学ぶタジク人の学生がこんなにもいることを知ってほしい。
先生のお宅へ招かれ、学生たちも集まり、ぜひ旅のお話をと言われた。
人前で話をするのは苦手なのだが、僕もかれらに興味あるし、互いに質問し合う形で話をした。
学生たちは、流暢とはいえないがちゃんと日本語で会話できて、日本に興味を持って、将来日本に行きたいと思っている人たち。
僕の旅にも興味を持ってくれて、たくさん質問してくれた。
いつも出会う地元民たちは、「なぜひとりで旅してる? 奥さんは? 子供は? なぜ結婚しない?」という質問しかしてくれないが、この子たちは外の世界に目が向いている。
行き先はどこでもいい、自分の土地を離れて未知の世界へ飛び込もうとする気概を持つ若者との対話は刺激的だ。
それから、以前日本に住んでいて日本語堪能なタジク人のお宅へも招かれ、ごちそうになった。
しばらく日本語で話をし、お互い自分がどういう人間なのかを伝え合った後、彼はこう言った。
「アサジさん、あなた全然『シャカイジン』じゃないね」
もちろん。
そんなものになろうとしたことは一度もないし、そういう意味不明な言葉をふりかざす人とは仲良くしてこなかったからね。
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