落語・塩サバ・思案橋(6/9)
私には足りない、「大事な人」という存在が足りない。人生に寄り添ってくれる、守りたい人、時には守ってくれる人、すっごい簡単に言うとネバヤンの「明るい未来」のMVみたいな人が足りない。いや、まてよ、それってすなわちそもそも自己完結力というか、「人はしぬときには一人」と言うときのニュアンスにおける「ひとり力」というか、孤独を享受するちからが欠落しているゆえの3次被害なのではないか?
いやでも、私が魅力を感じていて素敵だと思う人たちには「大事な人たち」がいるではないか。私に必要なのはああいう豊かな示唆を与えてくれる人なのでは?
また2周くらいずれた気がする。1つは、他者Aに対する畏怖と他者Aに自己の提供のできなさーー他者をベースで自己をAに近づける「特有の性格」への苦しさ。2つ目が現実を鑑みる視点の未熟さ。
起きたらそんなこと考えて泣いてました。IN佐賀。おはよう。
車中泊も慣れたもんだ、やや肩や腰が痛くなってきたが。手早くベットメイキングの始末をし、結露した窓を拭く。アイドリングは最小限に。出発の準備ができたらエンジンを回し、目的地を入力し、今朝用のプレイリストを流す。出発だ。
落語を聴きながら佐賀の「オレンジバイパス」みたいな道を走る。険しい山々が目下に見える。つるつると道の良いバイパスを滑るように走る。
やっぱり「芝原」っていい話だな〜。
芝原、初見で聞いたとき「フワ〜」って思ったけど、オタクがよく言う「記憶を消してもっかいやりたい」っていう構文ってこういう時に使うんだな、と思った。でも、あれじゃない?この構文って、「記憶が積み重なり、比較をし、精神的十字路の選択肢を何度も曲がり直すような楽しみ」よりも「構造としての納得感」を重視するということなんでしょうね?
私、太宰治の「姥捨」が大好きなんですけど、ウチの本棚に眠るあの文庫本は高校生の時から書き込んだボールペン文字でびっしりで、絶対にその文庫本を失いたくないと思っているんだけど、そういう精神と真逆の精神状態から生まれた構文ということですよね?それって、現世の病理を端的に表してはいないだろうか。いや、知らないけど……。
長崎県だ!長崎のガソリンスタンドは、デジタル表記の値段部分が「888」「^o^」になっていて、その横に「大特価!」「本日特売日」と書かれている。大特価!そういうこともあるのか……と満タン給油して、レシートをちらと見たら、「176円/L」の印字が目に飛び込んできた。3度見したあと、あるある探検隊の人みたいに失神しちゃった。マジで言ってる?
隣県の佐賀はガソリンが安かった。152円/Lくらい。福井県でも154円/Lくらいだし、今まで移動してきた県でも高くて167円/Lとかだった。
ガソリンスタンドの構内で、隣接した国道で車がぶんぶん走る広場の真ん中で、これが人間ということか?資本主義のやり方かい?と、膝から崩れ落ちてしまって、でっかいトラックに大クラクションを鳴らされてしまったよ。嘘だけど。何食わぬ顔で車に戻り、ちらとレシートを見て、「マジかよ……」ってつぶやいてそれきり、本当は。
放心状態の道すがら、諫早市のロースタリーへ行く。コーヒー豆の調達をしに何の気なしに寄ったのだけど、予想以上に素敵な場所だった。
車中泊で福井から来ていることを言ったらめちゃめちゃ良いリアクションをしてくれた。こんな大人になりて〜。長崎市に滞在することを告げたら、駅前で素敵な雰囲気のお店を何軒も教えてくれた。やったね。
今日はホテルに泊まる。この旅行唯一の宿泊施設滞在だ。ここらへんに道の駅やコインパーキングがあれば喜んで車の中で寝るんだけどね、せっかくだしね。全国旅行支援を使って一泊6000円くらい、2000円のクーポンつき。安い。
チェックインを完了させて、グラバー園やオランダ坂を経由し、お酒を飲みに思案橋の方へ向かう。
まずはじめに、コーヒー屋のお兄さんが教えてくれたカウンターのみのお寿司屋さんを訪ねる。1100円で6貫ほどだったかな、握りたての寿司が食べられると聞いた。
ネタうま。北陸から旅行にいくと「漁港って言ってもウチら北陸のお魚ほどではないでしょ」と魚介類にタカを括る悪いクセがある。ここのお魚おいしい。っていうか私回転寿司以外行ったことなかった、わすれてた。なんならイクラもはじめて食べた。イクラっておいしいんだ。
軽く腹ごしらえをすまして、次の店へ向かう。軽く1時間くらい迷子になりながら。道むずかしい、この辺。
次に向かったのはお兄さんイチオシの「キャラのよいお姉さん」がいるというバル。敷居高め。バックパックを背負ったカジュアルなモードの人間にとってめちゃめちゃ入りづらくて、店の周りを多少うろうろする。勇気を出してエイヤと突入。
「いいキャラ」だった。素敵な長崎弁だった。たまたま常連さんがあんまりいないタイミングで訪れたので、店主の「なっちゃん」さんとたくさんお話しできた。
近隣に引っ越してきて、週に1回通いたい。ワインも日本酒も料理も美味しかった。一過性で終わらせる場所ではない、ここは。
長崎のおすすめスポットもたくさん教えてもらった。世界3大夜景として有名な長崎、観光地化されて人のごった返す場所ではなしに、地元の人しか行かない穴場を惜しみなく教えてくれた。長崎の人たちは、観光客に対してすこぶるあたたかい。
常連さんが増えてきて、楽しそうな雰囲気になってきた。お邪魔するのは悪いので、そろそろ退散して次の店へ。次に向かった店は、なっちゃんさんが教えてくれたおでんや。
びっくりした、私の短い人生においてだけど一番良い酒が飲める店だった。
ハンサムな大将のいい温度感の毒舌。長崎弁でゆったりと喋る常連さんたち。おいしいおでん。ちいかわになってしまう。店内に、お酒を飲むという儀式を共有した共同体特有の、自意識や自己顕示欲が寛解した一体感がある。
隣に座ってた関西弁のサラリーマンたちが話しかけてくれた。3人とも出張で長崎に来ていて、この店はまだ2回目だけど、楽しすぎて昨日も来たらしく、また今後も足繁く通うことになるだろう、とボトルキープをしていた。
ボトルに書く名前を私に書かせてくれたのだけど、「字が汚すぎる」と大いに笑われた。字が汚くてよかったな。まだあんのかな、あの汚い字で「フジオカ」って書いた芋焼酎のボトル。とっくに空っぽだろうな。
おじさん2人が、若めの人と私にしきりに「LINEとか交換しちゃえよ〜」「照れんなよ〜」と囃し立てるのが面白かった。このノリも一種快さを感じるくらい酔っている自分が穏便で好きだ。
楽しく飲んで、最終的に女将さんに写真撮ってもらって、そのまま一緒に店を出て、長崎の町をふらふらと大笑いながら歩いて、締めの中華まんとおにぎりを奢ってもらった。
ここを人生のセーブポイントにしたい。辛いことがあったら、この時間この場所にタイムリープしてきて、人生ってそんなに悪くないな、って思い直して、また日常に戻っていく。私の「いるかホテル」はここだ。長崎のおでんや。
大将が「また九州においで。阿蘇とかスーパーカブで走るとめちゃめちゃ楽しいから。まあ僕はお客さんの顔3日しか覚えてないから、次来てもあなたのこと忘れてると思うけど!」ってニュアンスのことを長崎弁で言って、笑っていた。
薦めてもらってまだ行けてないお店がいっぱいあるし、今回行った店全部死ぬまでにもう一回は行きたいし、長崎で見るべきとされている夜景も原爆資料館も26聖人記念館も見ていない。
とにかくやり残したことをいっぱい置いてきてしまったことが、気に掛かる。
今の私にとって長崎は、再び訪れるべき場所のひとつだ。
だから全然、この夜が終わることは寂しくなかった。いい経験ができた。温かい町だった。また来よう、それでいいじゃないか。これ以上多くは望まないし、過度に寂しがることはないーーと、出島みながら町の隅っこでたばこ吸って、強くそう思った。ごめん嘘、ちょっと泣いた。
この素敵な町が「旅行先」でしかないことが切ない。一晩くらいじゃ、その域は出ない。
っていうか、長崎ナンバーの原動機つき自転車のプレート、なんで扇型なんだろ?って思ってたんだけど、あれ出島の形なんやね。おしゃれやね。
久しぶりのベッドで眠る。まだフワフワしている。たくさん歩いたな。福井弁を誉めてもらえたのが嬉しかった。
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