みんなで作るニートなマガジン。ニートの日記、エッセイ、活動記録、ノウハウ、メンタル問題、低コストな娯楽、節約方法、貧乏旅、思想や哲学、作品評など。
白﨑
社会に適応できない人間による、社会を愛するための旅行レポート群です。ダークツーリズム率やや高め。
二輪免許取得1年ちょっとのへっぽこドライバーによる、愛車のタイカブ(JA56)ゾムまるに関する記事です。
元気が足りず旅に出られない。そんなときは、のんびりお家を楽しもうねという趣旨の記事たちです。現実逃避・無駄なことばっかりしている。
ハンカチ落としをしたい。ぜんぜん友だちだけでなくてもいいし。公園の広場で円になって座って、フリー・ハンカチ・フォールダウンを開催したい。飛び入り参加も離脱も自由だ。 1時間くらい遊んだあと、一本締めでスッキリ締めて、各々てんでバラバラに解散したい。素性も信念も政治的傾向も知らない、ただハンカチ落としをするだけの関係性。 椅子取りゲームも好きだ。椅子取りゲームは、見ている方が好きだ。数の足りない椅子を取り合う様子を揶揄して「人生じゃん」って言う人、いるだろうな。熱を帯び
◯アビー・ロード 街が語りかけてくる。お前は今までずいぶん間違ってきたぞと喋りかけてくる。お前は間違っているから何もつくれず何もわからず友人が去るのだとざわざわ蠢いている。うるさい。 語りかけてくるというよりは、直感が到達する感じだ。この感覚、なんなんでしょうね。 りんごを見たときに人は何を思うだろうか。 「あ、りんごだ」と、思う。これは、そこにりんごがあることが意外であるようなニュアンスをもつ。 では、そのりんごがそこにあることを知っているときはどうだろうか。
インターネットのオフ会に参加した。楽しかった、ありがとう。 あなたたちの言葉に句点を打って持ち帰りました。文のつづきに何を書こうか考えたいコンテクストがたくさん集まって嬉しいです。 インターネット上で表れる人格って基本的には「言い切り」だと思うんだけど、実際に喋ると「問いかけ」「不思議」の余白が生まれて面白い。また会えたらいいな。次はもうちょっとうまく喋りたいです。 べつに誰かの話を踏襲したいわけではないが、いくばくかあのとき聞いたことを原作にして、2次創作をや
友人に「宗教に関する本について、お勧めがあれば教えてほしい」というありがたい問いをいただいた。改めて私の〈宗教観〉とは一体なにが礎になっているのだろうかと考え出したら実に纏まりを欠いていた。とりとめのない雑記に至るが、改めてここに開陳してみる狼藉を働こうと思う。 結論としては、私は「宗教人」ではない。特定の信仰OSがインストールされた思考回路をもつわけではないし、特定のカミに祈るわけではない。私は宗教・神仏に対して語る言語を持たない。そのことをある程度、劣等感コンプレック
白﨑尾道三部作 一、18歳一人旅(2015) ・あらすじ 青春18で人生はじめての尾道へ。踏切を境界として民家・寺と商店街が隔たる、独特な街の雰囲気に打ちのめされる。日本にはこんな場所があるのか。どこか牧歌的なのに、映画や文学、洗練された文化への矜持が張り詰める街の意思を、この未熟な精神でも知覚することができる。熱量(カロリー)。「尾道」を最愛の地、心の支えとしてみよう。いずれ、人生にすべて絶望してしまったら、ここに住み移ってきて、日がな一日瀬戸内海を眺めるのだ。 二、
皆さん、こんにちは。お元気ですか。私のほうはまだ労働をなんとかがんばっています。 非正規のお給料がどんぐりで一人暮らしなので、とにかくお金がない。たくさん働いている気がするけど、実はそうでもない。しんどいつらいとピーピー喚いているけど、1年7ヶ月費やしたニート生活との落差がすごくて参っているだけだ。 お金がないので、仕事がある日は1日1食で生活している。炊いて冷凍しておいた雑穀ごはんに一袋あたり90円のレトルトカレー、ゆで卵、1週間ぶん仕込んだ大根の漬物やらほうれん
ニート期間に急遽思い立って出かけた、9日分の山陰・瀬戸内海カブキャンプ旅レポートの投稿が完了した。 旅から帰ってくると、「あんまり有意義なことはしなかったな」とか「こういうときに‘教訓’なんかを持って帰ってくるべきなんでしょうね」とか、終わった行為の中庸さにしみじみする時間が、「ま、楽しかったからいいや」という、一種の開き直り感と共にやってくる。 旅というのは、「他でもない【私】は、〈分裂〉を繰り返して全然異なる〈リゾーム〉(根茎)と繋がったり、たやすく切れたりする
2022.10.3(月) 帰りたくない。 本当ならば今日の朝、私は荷物をまとめて姫路行きのフェリーに乗る。目が覚めたのだし、さっさとテントを片付けて荷造りをして、フェリー乗り場で切符を購入しなければならないはずである。 帰りたくないみたい。このままアウトドアチェアに深く腰かけ、遠方の海を眺めていたい。 気楽なニート旅だ、帰りたくないなら帰らなければいい。港ではなく管理棟へ向かい、キャンプ場の管理人さんをつかまえて、追加料金を支払った。1日延期だ。 朝の日差し
2022.10.2(日) 6時起床。テントのポケットからスマホを探り当て、現時刻から2時間後に鳴り出すアラームを止めておく。キャンプというのは強制的な生活習慣・矯正装置だ。瀬戸内海側特有の穏やかな秋晴れが、今日も今日とて澄み渡っている。テント越しなのに容赦ない。北陸生まれのインキャには眩しすぎる。 バーナーに火を入れ、お湯を沸かし、鳥取から運んできたエチオピアを挽き、コーヒーをドリップする。オリーブ畑だろうか、丁寧に剪定された傾斜の木々たちを眺めている、眺める以外には
インターネットばかり見ている。 インターネットにいる人。同じ次元にいれたら、こんなには辛くないだろうか。最近はインターネットにいる人が「在る」ということが辛く、インターネットを見るときに、あまり人の方面は見ないようにして、人避けをしながらインターネットをしている。私は基本的に生きていくうえで、インターネット以外やることがないが、人がいないインターネットにはそんなに興味がない。すなわち、そんなに興味がないインターネットを、人のことを考えながら、なんとなくやっている。どうい
心がしんどすぎる、なんだこのユーウツは。しんどすぎるということしか分からない。デビット・リンチの映画に出てきた言葉を思い出して、息も絶え絶え堪えている。にっこり笑ってやり過ごせ。にっこり笑ってやり過ごすのだ。 引きつった笑顔。醜い顔。通勤電車の湿気とマスクでめちゃくちゃになった前髪。こんなひどい顔を、外界に晒して、生活をしている。吐き気がする。自意識。 どこに頭をつっこんだら楽になれるのだろうか。でっかいミキサー?巨大なシュレッダー?5Fから見た3車線? 疲れた
昼休みにゆっくりコーヒーをドリップすることで、なんとか正気を保てている。うつろな目でデスクトップの前に腰を下ろし、コーヒーをすすりながら、この日記をフリックしている。職場のフロアには、いつもくだらないラジオが流れる。フレンチポップかアンビエントトランス、もしくはえげつない下ネタの深夜ラジオが聴きたい。 労働は、本当に辛い。辛さの根源について毎日考えているけど、やっぱり、自分の能力不足と社会適性のなさをーーオタクの誇張ではなく本当にーー毎分毎秒、痛感するからだろう。毎日、
こんばんは。久しぶりです。 私は今からこの文章を、いつもここを読んでくれている親しいあなたというものがいるというふうに仮定して、そんな親しいあなた一人に対して愛をこめて、やさしく、囁くような声で語りかけたいなという欲望に駆られている。そんなあなたに、ここ数ヶ月の私のことを、聞いてほしい。 結論から言うと、生きることにした。 生きるということは、生活にまつわる、あらゆるややこしい手続きを引き受けて、嫌な感情に向き合い、摩擦の中で呼吸を続ける、そういう行為を永続させる
2022年10月1日(土) バイクに乗ってフェリーに搭乗するのは生まれて初めてだった。内臓の圧縮と動悸が高まる、ようは心配性なのだ。恥をかきたくない、うまくやりたい。昨日の失敗を取り返したい。早々にゲストハウスのドミトリーから飛び起きて、港へ向かう。 搭乗予定の2時間前にはフェリー乗り場についてしまった。今からの出航にゆうに間に合いますけど、と、受付の人を困らせてしまった。 高松港付近をぶらつく。トリエンナーレ開催中かつみんなの休日なので、かなり賑わっていて元気がなく
2022年9月30日(金) 4連泊目ともなると、健やかに入眠し軽やかに起床することができる。ゆる言語学ラジオのゾミア回で「マズローの提唱した〈安全欲求〉が満たされないと健やかに生きられない人間もいる」という話をしていたが、私もどうやら堀元さん側、周囲に不安があってもなんだかんだで慣れていく側のようだ。 まあ、とはいえ程度の問題だ。私にできるのはせいぜい連泊キャンプ3日目で安眠が得られるっていうレベルまで。イノシシ走り回る千葉の山奥で野営して、なんの不備もなく眠りにつける
2022年9月29日(木) 起きた。いい天気とは言い難いが、雨が降る気配はない。散策日和だ。 今日は多々羅キャンプ場にもう一泊する。さくじつの厳しい移動を癒すために、のんびりここら辺をツーリングしよう。なんの目的もないけれど、大三島と生口島をフラフラ走る。 坂が多い。案外、海が望める場所はそれほど多くはない。ほとんどの時間を山間走行に費やす。柑橘類の畑だろうか、手入れされた低木が規律正しく茂っている。 海を眺めながら休憩中に、ピンクナンバーの団体に声をかけられた