日記93 他人のことは何もわかんない

 発達障害の人は人の気持がわからない。なんて非常識だ! という言葉が、普通に流通していることだろう。これはいわゆる定型発達者は、人の気持がわかるということを明らかに含意しているが、しかしそれは誤りだと思う。
 そもそも、僕らは人のこと、特に内面のことなんて、全然わかっちゃいないのだ。相手の気持を理解して行動していると思い込んでいるいわゆる定型発達者でも、普通に誤った他人の心情の理解をし、ぶつかる。人の気持を理解できない発達障害者↔人の気持がわかるわれわれ・・・・定型発達者という図式はまったく的はずれなことだ。
 じゃあなぜ、いわゆる定型発達者は人の気持がわかると錯覚するのか? それはまさに定型発達者であるということに由来するのだが、かれらは一般的に言ってマジョリティである。そして発達障害者を発達障害者であるがゆえに排除して残った、世の中の一般的で適正な情緒発達をした者たちがいわゆる定型発達と呼ばれることになる。だから、異なるタイプを排除した結果、似たようなタイプの人たちが残るのである。そのため、その感情の動き方や好悪のいだき方等を、類推して触れあうことができるのだ。まったく的はずれな類推をしていることは多々あるのだが、似たタイプであるがゆえに、行為の結果だけは一致してしまう。そのため、「相手のことをわかって行動して、それが功を奏した」という経験を積み、「自分たちは他人の気持がわかる」という錯覚を強固にしているのだ。だから逆に言えば、発達障害者であっても、同じタイプの発達障害者との間では、わりと類推が効いて、うまいこと対応できることがある。結局のところ、似たタイプの人に対しては類推によって無難な応対が可能になっている、というだけのことなのである。

(2023.12.8)

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