日記94 挑戦の跡が僕は見たい

 本屋に立ち寄って書架を眺めていた。買おうにもあまり懐に余裕がないので、まあ目の保養代わりである。それでいつもの通りエスカレーターを下ってすぐの文庫・新書コーナーのあいだをわたった。
 講談社文庫付近で足を止めた。ふだんから(やすやすとは買えないが)講談社文芸文庫のところを見ていたので、その習慣だった。そして、そのときはふだんとちがうことがひとつだけあった。新刊が平積みされていたのだ。高橋源一郎『君が代は千代に八千代に』、ちょうど高橋源一郎の本を読んでいるタイミングだったし、『さようなら、ギャングたち』以来気にかけている作家なので、当然買わないまでも手にとり、いつか買うために目次やカバー裏の説明を読んでみた。正確にどう書いていたかは忘れたものの、何やらぶっつけで、書かれるものに身を委ねて書かれた、みたいなことが書いてあったように記憶している。僕は『ゴーストバスターズ 冒険小説』を思い出し、大丈夫かなと思った。同書の松浦寿輝の解説には「作品としては失敗している」が、「この挑戦は評価されるべき」といったような旨のことが書かれていたと記憶している。作家としては、解説でこんなことを書かれるのは屈辱ではないか? と思われたが、今回の『君が代は千代に八千代に』も同じ匂いがして、読者としてはやはり不安になる。
 しかしいつかは僕はこの本を買って読むことになるだろう。『ゴーストバスターズ 冒険小説』ではつかみかねたが、何か挑戦をしているのならば、それをつかみとり、自分のものにして新たに書いてみたいと思うのが人情である。『一億三千万人のための小説入門』で高橋源一郎は、小説を書くためにその人だけの大切な小説を掴むべしと書いていた。失敗した『ゴーストバスターズ』でそれは皮肉にもあらわにされてしまったのだ。僕はそれを見たいと思う。『SSSS.GRIDAN』と『SSSS.DYNAZENON』において、前者はきれいに構成され、ひとつのテレビアニメとしては完成されていた。後者はやろうとしたことはわかるが、時間が足りず宙ぶらりんになった。『SSSS.DYNAZENON』は、はっきり言って失敗したといっていい。
 だがどちらが魅力的だったかと問われれば、僕は『SSSS.DYNAZENON』と答える。何かを表現しようとして、結果敗れ去ろうとも、その挑戦の跡は、必ず残るのである。
 だから『君が代は千代に八千代に』も同じことだと思う。「本当の小説」を書くために何か大切なものをつかもうとする高橋源一郎の挑戦を、僕は読みたいと思っているのである。

(2023.12.11)

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