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アサイシンペイ
2020年12月17日 03:18
どれくらいの時間が経ったのだろう。再び目を覚ました時、おれは悪夢から生還していた。全てが嘘だったかのような、遠い昔の出来事だったような、そんな錯覚をした。 無機質な部屋だった。患者に何の影響も与えないよう、綿密な設計がされているのだろう。部屋に置かれているすべての物が、淡いクリーム色をしていた。 病室には、爽やかな風が吹いていた。微かに冷たいその風を感じた瞬間、おれは自分の感覚が戻っているこ
2020年12月17日 03:17
それから先のことは、よく覚えていない。血で真っ赤に染まったソファを眺めながら、おれはうつ伏せになって倒れた。視界がぼんやりとして段々と狭くなっていった。 しばらくすると、瀬戸熊がおれを担いで、薄暗い階段をとんでもないスピードで駆け上がっていた。ずっと大声でおれに話しかけていたが、最後まで、何と言っているのか分からなかった。 ギリギリで繋ぎ止めていた意識がなくなり、目の前が真っ暗な闇に包まれた
2020年12月17日 03:16
おれはいつでも部屋を出られるよう、扉を半開きの状態にして、中へと入った。「すいませんね。お二人とも、こんなところに来ていただたいて」 黒木にはこれといった特徴がなかった。身長も、体型も、顔も、声も、服装も、何一つ引っかかりがなかった。どこにでもいるごく普通の男。個性をあえて排除しているかのようだった。「わたしのことを知っていますか?」「……さあ。殺人犯には興味がありません」「そういうこ
2020年12月17日 03:15
「……もしもし」「はじめまして。黒木です。お話しできて光栄です」「……何のようですか?」「いただけませんね、その口調は。目上の人間と話をするときは、敬意を持たなければ」「人殺しに向かって、敬意もクソもないでしょう」「おやおや。随分な言い草だな。そんな態度を取っていいんですか?大事なご友人が、泣いてしまいますよ」 背筋に冷たい何かが走った。隣で聞き耳を立てている瀬戸熊の表情も歪んだ。「
2020年12月16日 09:52
翌日の朝。おれたちは第二総合研究所に向かった。前回よりも緊張はしていなかった。左手に感じる痛みで眠れなかったのと、暴力にさらされた怒りで、それどころではなかったという方が、適切かもしれない。ノックをすると、聞きなれた声が部屋の中から聞こえた。「どうぞ」 部屋の中に取り巻きはおらず、玲香一人だった。テーブルの上には、空になった皿が置かれていた。「食事中だった?」「うん、今食べ終わったところ
2020年12月16日 09:51
「さすがにまずいんじゃないかな」「どうして?」「仮にも倶利伽羅の准教授だろ?無断で研究室に押し入るってのは、どうにも」「大丈夫さ。第三にいるようなやつに、文句など言えないさ」 瀬戸熊は明らかに楽しんでいた。そしてそれはおれも同じだった。ダメだとは分かっていても、権力を行使して法を犯すのは、刺激的な経験だった。 おれたちはあの後すぐに、黒木へアポイントを取ろうとした。しかし黒木は三月の下旬
2020年12月16日 09:50
アーク国際学生寮区に来るのは初めてだった。海外の住宅街のように、寮地に入るにはガードマンが常駐しているゲートを通過しなければならなかった。高い家賃に見合うだけのセキュリティ体制ではあったが、エクレシアの協力があれば侵入することは容易だった。なにせ、いくらでも正規のパスを発行できるのだから。瀬戸熊の言う通り、倶利伽羅においてエクレシアは、法そのものだった。 国際学生寮の名にふさわしく、寮地には世
2020年12月16日 09:48
「和馬なら、分かってくれると思っていたよ」「おだてる必要はない。瀬戸熊は、おれなら簡単に説得できると思っていたんだろ?」「言い方が悪いな。和馬はぼくたちと同じ、選ばれた側の人間だと信じていただけさ」「選ばれた側ね……。だから他人の生活を覗き見てもいいし、大麻を吸っても捕まらないと」「なあ和馬。それ以上突っかかるのはやめてくれ。やると決めたんだろ?」「……分かったよ」「今は幽玄の試験をク
2020年12月16日 09:47
学生支援センターとはその名の通り、学生向けに様々な支援を行うための施設のはずだが、倶利伽羅の場合は趣が異なった。支援というよりは『管理』という言葉の方が適切であった。 学生生活や就職活動によって、メンタルのバランスが崩れる大学生は案外多いらしい。だがこと倶利伽羅において、そのような学生は、自然淘汰の結果とみなされてしまうようだ。倶利伽羅の支援センターは、三万人もの学生が通う大学の施設とは思えな
2020年12月15日 06:05
翌朝。おれは伯父さんに短いメールを打った。倶利伽羅での研究者という立場の他に、どんな仕事をしているのかと。だが予想していたとおり、返信はなかった。 イラつきを覚えながら、おれはひとまず瀬戸熊と、白川宿舎近くのレイディアント図書館に向かった。百合沢に会って、松井誠司についての情報を聞き出すことにしたのだ。しかしおれは、なぜエクレシアが情報を持っているのか、そもそもの理由を知らなかった。「エクレ
2020年12月15日 06:04
部屋に戻る間、おれは先ほど起きたことを整理しようとしたが、感情があちこちに散らばって、上手くまとまらなかった。ただ一つ分かったことは、みなみの男の趣味は変わっているということだ。 恋愛は絶対評価。周りの評価は必ずしもあてにならない。おれの顔を好きだといってくれる女性も、少なからず地球には存在しているということだ。そういうおれも、女性の顔の好みには確固たる一貫性がある。歴代の彼女(二人)は、一重
2020年12月15日 06:02
目を覚ましたのは、朝の四時だった。幸か不幸か、早めに寝たおかげで、狂い切った生活リズムがリセットされたようだ。おれは寝ている三人を起こさないように、ひっそりと共用スペースに向かった。ミネラルウォーターをコップに注いでいると、入口の扉が開いた。現れたのは、小野瀬みなみだった。 みなみはこちらにまだ気づいていなかった。おぼつかない足取りで、キッチンに近づいてきた。ぼさぼさの髪、派手なメイク。いつも
2020年12月15日 06:01
「和馬、悪かった。ぼくがはやく話をしておけば……」「……何か事情があるみたいだな」 おれたちは典獄寮の部屋に戻っていた。瀬戸熊が珍しく神妙な顔で、話をはじめた。「事件が起こったのは、去年の冬のことだ。玲香はプログラマーとして、新しいSNSサービスのプロジェクトに関わっていた。その日はメディアに情報が解禁される日で、玲香は倶利伽羅を離れて東京のホテルに宿泊したんだ」「高校生のうちに、そんな大
2020年12月14日 08:49
倶利伽羅に来て、二か月近くが過ぎた。おれはだんだんと自分の立場が分かってきた。そしてこのままではどうなるのかも、感づいていた。何かを変えなければいけない。それだけは確かだった。 授業は面白い。それも、予想していたよりもはるかに。もちろんつまらないものもあるが、そんなものは切り捨てればいいだけだった。倶利伽羅においては、選択肢は無限にあった。困ったのは、面白くてもおれがそれを吸収できるとは限らな