笑いのカイブツ観ました。
恥ずかしながら原著のツチヤタカユキさんは存じ上げなくて。
本当にただただ映画公開予定のネットニュースを見ただけだった。
そのときはまだ私の中で"繋がる"なんて思いもしなかったものだから。
岡山天音さんはすごいなと思っている俳優さん。
色んな作品で異彩を放たれる岡山さんですが、私が好きだなと思ったのは忘れらんねえよ【いいひとどまり】のMV。
ドラマや映画ではないのかよという感じなんだけれど、これがもう曲と合いすぎていて大好き。
あとわかりやすくて大好き。歌詞もストーリーもシンプルで真っ直ぐだから、見るたびに頭に直接響いて涙が出る。
柴田さんが歌いながら岡山さんを見るところと、泣いている女の子に岡山さんが声をかけないところ大好き。え、好きすぎ。
その岡山さんが映画主演をやられるらしい。
ポスターのビジュアルが、ただそれだけでかなり"合っているな"と思ったからこそ惹かれた。
どこかで聞いたことのある話だと思った。
元となる書籍の執筆者を検索する。
え、あ、あっ、
アッ!!!!!!!!!!!!!!
ラジオも聴かず、ハガキ職人という人種もぼんやりとしかわからない私の脳内で、かつて読んだ芸人さんのエッセイの登場人物と繋がった瞬間だ。
そうか、そんなことがあるのか。
確かに『人間関係不得意』。『ネガティブを潰すのは没頭だ』と同じくらい、印象に残っている言葉だった。
当時のラジオリスナーや、あのコンビのファン、原作連載時に読んでいた方であれば、この映画の公開は待ってましたとばかりの、それはもう期待作なんだろうな。
以下、原作も読んだのでそれも交えたネタバレありの私の感想☟
初っ端から岡山さんの死んだ顔。"死にそうな"なんて生ぬるいことは言わない。圧倒的な死んだ顔。
観終わってからわかったので、この時点では言い切ることはできなかったけれど、最初から最後まで生ぬるいことを許さない映画だった。
生ぬるいことを是としている全てを許さず否定する映画だった。
とにかくツチヤの行動すべてが、常識というフィルターを通すとことごとく真っ暗だ。
家でタイマー片手にボケを出し続ける、血が流れるほど壁に頭を打ち付ける、バイト先でも常に頭は大喜利のことを考えていて、自ら働きに出ているのに書き起こすことができない状況や、邪魔してくる人の形をした周りの存在は全て敵だと思っている。
私は、この世には色んな人が居る、と、年齢を重ねたりSNSを見るたびに思うことがあるけれど
ハタチにもならないこんなやつが笑いの聖地で息をしていたなんて。
自分の努力が実を結ぶかと思う瞬間に、必ず人間関係が阻んでくる。
自分より努力もせず、おもろくもない奴が、人間関係がうまく作れるだけで出世していく。
社会に身を置く人間が、「そういうもんだよな」と飲み込んだり諦めたりするところが、ツチヤにはわけがわからないし受け入れられない。
映画では、本当にただネタを書き続け、おもろいことを量産している様子だったんだけれど(もちろんまったくなかったわけじゃないんだけれど)
原作を読むとそれだけではなく、芸人さんのネタや自分が書いたネタを分解解析、パターン化、どうやったらウケるのか、採用されるのかをかなり理論的に組み立てていて、しかもテレビ、漫画、いろんなジャンルの本、映画などありとあらゆるエンタメを継続的にインプットとして触れていたみたいで
それを基本的な生活全て投げうって四六時中同時並行しているのだからそりゃあおかしくなるだろ。フル回転どころの話じゃない。
原作には、ある二組の芸人さんのネタが載っている。ツチヤさんがカイブツに襲われながら勝手に書いたネタだ。
あまりにも当人たちの声で脳内再生され、違和感がないものだから(当たり前におもしろい)
そういうことなんだなと腑に落ちる。
ストーリーが進み、吉本の劇場作家見習いになったとき、ただでさえ馴染めなかった(馴染もうとしてなかった)同じ見習いたちの一人からネタの盗作を疑われる。
これはお笑いだけではなくて、すべてのクリエイター様に通ずるところだと思うのだけれど、自分がその身を削って生み出したものをパクリだと言われることは、一般人には到底理解しきれない感情になるのだと思う。
ツチヤも「パクるくらいなら死んだほうがマシ」と言い切っていた。
「頭おかしくて何が悪いねん、褒め言葉じゃ。」
怒りとプライドと嫌悪感で吐き捨て、劇場をあとにする。
その後はがき職人になり、憧れの芸人から直接声がかかり上京、"業界"の中に入っていくストーリーになるが、
ツチヤは最後まで余すことなく苦しそうだった。
かなりおぼろげだが、私の記憶では、ツチヤが笑った(笑顔を見せた)のは本編中3回。
ケータイ大喜利で初めてネタが読まれたとき。
尊敬する芸人さんにネタを認めてもらったとき。
初めて好きになった女の子と久しぶりに会ったら「彼氏と同棲する」と告げられたとき。
お笑いに生きているのに、自分の中で"おもしろい"とは何たるかが確立されているのに、そんなことがあんのか。
3つ目に関しては、作り笑い、愛想笑いの偽物だし。
トチ狂っている。
映画を見る前に見た、映画公式サイトにある著名人のコメントのひとつを思い出す。
このツチヤの笑ったタイミングを、もう一度映画館で確かめたかったけれど、上映期間中に行けなさそうなのでサブスク解禁を期待します。
書いといてなんだけど、私まだ、信じてない。
これだけ強烈な主人公だから、周りのキャラは埋もれてしまっても…と思うのに、それも許されなかった。
原作で唯一の友だちと言われる、ピンク
好きになり、好きになってくれた人、ミカコ
この人がいなきゃなんの希望もない、ベーコンズ西寺
そして本当に愛があり素敵な人、おかん。
ミカコと一緒に、ピンクが働く居酒屋に行き、3人で話すところからのツチヤが感情をぶつけるシーンへ。
えぐられ、涙が移る。
「皮肉やなァ」とツチヤの肩を抱いて話し始める菅田将暉さんの表情が優しくて好きだった。
あとやっぱりおかん。初め、ただの男好きネグレクトか?とか思ってすみません。私は母になったことがないけれど、母の愛情とはこういうことだとあたたかくなった、ラストシーン前の息子との会話。片岡礼子さんは、とてもとても素敵な女優さんだ。
映画を見てから原作を読むまで、そしてこの感想を書くまで少々期間が空いてしまって、己の記憶力の乏しさ相まって内容全然違ったりするかもしらん。さすがに勘弁してくれ。
それでも強烈にもう一度見たいと思っているこの気持ちを信じて、サブスク解禁を期待します(二回目)。
それにしても、努力と才能を認めた芸人さん側と、不器用に憧れ続けた作家側と、双方主観のリアルエピソードを見られるなんて。
エンタメってば最高だな。
ツチヤさんて結局何してる(してた)人なん?とwiki以外を探していたら経歴がまとめられているサイトがあった。
"物書き"としてオールマイティすぎて開いた口がキーボードに落下しtっんfjghfjbvjb
失礼、下顎が暴れた。
最後に、原作と本編どちらにも登場したツチヤさんの大喜利ネタでお気に入りをひとつ。
「男湯と女湯をへだてる壁を英語に訳せ」
『ファイナルファンタジー』
手を叩いて笑った。
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