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サッカーバカが功を奏して。

約1年前、「新宿から世界一のフットボールクラブを目指す」そんなクラブを運営する会社に入社した
なんだか聞こえはいいが、この1年間で、色んな感情と出会った。自分が何者かもわからなくなったし、自分の実力のなさに焦る一方で、時間ばかりが過ぎていった。
「あぁ、これは未来の自分のために残しておかなければ」そう強く思った。長くなるかもしれないが、サッカーに魅了された、ただの凡人がここにたどり着くまでを記しておこうと思う。


サッカーとの出会い

そもそもサッカーとの出会いはありきたりなものだった。2歳上の兄が地元の少年団、八日市北FCに入団したことをきっかけに、母に連れられ、応援に行くことになったのだ。
土日は、サッカーの応援につぶれたが、行けば大好きな兄たちが遊んでくれるし、ママさん軍団が作った豚汁はおいしいし、大声で応援するのはなんだか気持ちが良かった。

気づけば、私はサッカーが好きになっていた。

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サッカーが好きすぎて生活指導!?

余談だが、自分とサッカーとのエピソードを話すうえで十八番になっているエピソードも話しておきたい。中学3年生になったその年、南アフリカワールドカップが開催される前日。人生初めてのお呼び出しを食らった。
心当たりがなさ過ぎて、ドキドキしながら、生徒指導室に向かった。

先生「木村、何を言いたいかわかるか?」
私「・・・。」
先生「明日から、ワールドカップがはじまるの知ってるな?」
私「・・・はい。」
 (ざわざわ)
先生「サッカーが見たいからって学校休むなよ」
私「え、あ、はい。」
 (休むわけないやろ―――――!!!!!!)

てな感じで、人生初めての生活指導は、サッカーが好きすぎることを指導された(?)のだった(笑)。

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プレーヤーでもないのにサッカーで進学

まぁ、そんなこんなで高校生になる頃には、シナリオ通りと言わんばかりに高校サッカーに魅了されるようになった。

たったひとつのプレーで試合が変わってしまう、あのドキドキ感がたまらなく好きだった。歓喜、怒号、涙、底知れない感情の数々に豊かさを感じた。そして何より、サッカーを通じて、「本気」とやらを知り心が熱くなった

父を継ぐ、と歯科医師を目指していた私だったが、どうしてもサッカーに関わりたくて、幼少期からの夢を捨て、同志社大学に入学することを決意した。いや、同志社大学のサッカー部に入部することを決意した。ママ、パパごめんやで、、、(笑)

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サッカーに裏切られた、、のか?

その頃、同志社大学体育会サッカー部には、選手権でスーパースターと言われた選手が何人もいた。入部して間もなくは、そんな選手と同じグラウンドに立ち、同じエンブレムを付けれることに誇りを高く感じていた。だが、そんな高揚感はそう長くは続かなかった。

ある日の試合では、大一番で敗戦したAチームを横目に、応援の選手たちがゲラゲラと笑い声を立てていた。また別の日のミーティングでは「まぁ、価値観の違いやん?」なんて言葉を使い、本音を語らない部員を目にした。

「私が知っていたサッカーはこんなだったけ」。もやもやとした違和感を持ちながら考えに考えた結果、「このチームに革命を起こす」「4年間で全部員を幸せにしてやる」。今思えば、大それた目標を掲げたのであった。

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サッカーがつないでくれた堅い絆

決意を固めた私は、ひたむきに、がむしゃらにアクションした。とにかく、自分の想いを伝えたし、仲間の感情を大切にした。理念とか、結果とか、サッカーとか。そんなものはもうどうでも良かった。

ときに「お前はもう水だけ汲んどいてくれ」なんて言葉を浴びせられることもあったし、「後輩は先輩の言うことを聞いてたらええから」と怒号交じりに言われることもあった。

それでも、私には信念があったし、何よりサッカーが仲間たちをつないでくれることを、豊かな感情を生み出してくれることを、信じていた。

4年間はあっという間に終わった。マネージャーとして、ひとりの人間として、あの頃の言動は正しかったのかと思うことは今でも多くある。

だが、社会人になっても熱く語れる仲間を思うと、少なからずあのチームが作り出すサッカーに「貢献」できていたのではないかと思う。

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サッカーに慢心した自分

就職先には、サントリーホールディングスを選んだ。「やってみなはれ」の精神でとにかく自分の力を試したかった。人生の目的である「家族をしあわせにする」ために人脈と経験を作らなければと思っていた。

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仕事をはじめ、悩みながらも必死に食らいついた。営業の新人賞、MVPを受賞したり、少しばかりの結果も出せていた。ただ、何かが足りない気がしていた。胸にこみ上げるあの感覚を欲していた。「やっぱり、サッカーに関わりたい」その想いは、日に日に大きくなっていた。幼少期から、サッカーと当たり前に生活していた就活生の自分は、きっとサッカーに慢心していたのだと思う。

紆余曲折を経て、「新宿から世界一のフットボールクラブ」を目指す、株式会社クリアソンに転職することを決断した。

この場を借りてだが、退職する際に「お前の人生を心から応援している」と言ってくださった上司、先輩には本当に感謝しています。ありがとうございました。

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サッカーと出会い直して

さて、入社して1年が経った(やっとここまできた、ちょっとした小説くらい長くなってもた)。

サッカーに関わりたいと入社したが、仕事に追われる毎日で、正直、自分の仕事の中核にサッカークラブがあることを忘れてしまう瞬間もあった。最近になってやっと、本当にやっと、サッカーとも会話する余裕ができてきた。

クリアソン新宿が紡ぎだすサッカーと話してみると、そいつは悩んでいた。苦しんでいた。でも輝いていたし、未来に向かって力強く歩もうとしていた。

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何度もいうが、クリアソン新宿というクラブは、新宿から世界一を目指している。Jリーグで活躍していた選手も在籍し、会社にはいわゆるエリートがごろごろいる。掲げるビジョンやミッションは崇高で、仕事との両立という前人未到のチャレンジに向き合っている。

一見すごい組織に見えかねないが、私が見ている限り、クリアソン新宿が紡ぎだすサッカーは、今、まさに混沌の中にある。日々、探求を続けている。そして、それを目の当たりにした私は、サッカーにも人格が、感情が、あることを知った。

これまで、サッカーはただ関わるものだと思っていた。でも今は、サッカーさんと肩を組んでる気がしている。サッカークラブを運営する会社の、しがない広報である私も、その一端を担っている。

探求し続ける先の正解は何か、未来がどうなるか、そしてクリアソン新宿のサッカーさんがどんな風に成長していくか。何もかもわからないけれど、とにかくできることをやってみようと思う。

サッカーに魅せられ、いつしかサッカーに人生を預けてきた情けない私だが、これからは、サッカーさんを支えながら、力を借りながら、共に社会を変えていきたいと思う。


ということで、
そんな私の、今の目標は8月中にTwitterのフォロワー1,000人!!!
( 残り25日で750フォローが必要です!!汗汗汗 )
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めちゃくちゃ高い壁なんですが、達成に向け奮闘中です!ぜひここからフォローをお願いしますっ!!



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