木村朝妃

25歳| 同志社大学 | 体育会 | サッカー部 サントリー退職 → 株式会社Cri…

木村朝妃

25歳| 同志社大学 | 体育会 | サッカー部 サントリー退職 → 株式会社Criacao 読んだ後に感情の渦ができる文章が書けたらいいなあ〜

最近の記事

サッカーバカが功を奏して。

約1年前、「新宿から世界一のフットボールクラブを目指す」そんなクラブを運営する会社に入社した。 なんだか聞こえはいいが、この1年間で、色んな感情と出会った。自分が何者かもわからなくなったし、自分の実力のなさに焦る一方で、時間ばかりが過ぎていった。 「あぁ、これは未来の自分のために残しておかなければ」そう強く思った。長くなるかもしれないが、サッカーに魅了された、ただの凡人がここにたどり着くまでを記しておこうと思う。 サッカーとの出会いそもそもサッカーとの出会いはありきたりなも

    • ブラサカが教えてくれたこと

      「ブラインドサッカー?なにそれ?」 ほんの1年前まで、 競技も知らなければルールなんてもってのほか。 名前からスポーツであることは想像できたが、果たして私が知っているサッカーと同じような魅力があるのか。 誠に失礼ながら、そんな疑問さえ抱いていた。 そこから数ヶ月が経ち。 これほどにも想いや学びが詰まったスポーツはないのではと思うようになった。 出会うべくして、出会った 2019年。 その頃の私は人生最大の帰路に立っていた。 24歳になったその年、ある障がいが診断さ

      • 言いたいことは絶対に言う!

        タイトルを見て、どんなことばを想像しましたか? 「私はこうしたい!」「それは違うと思うよ」「もっとこうしたほうがいいよ」 こんな感じで "言いづらいくても"言いたいことは絶対に言ったほうがいい!といった思想はよく聞くと思います。そして、人間関係、信頼関係を構築する上でそれはとっても大切なことだと感じています。 が、私は "恥ずかしくても"言いたいことは絶対に言う!ことを常々意識しています。 前途のように、"言いづらいけど"言いたいこと。それに向き合う瞬間は、想像に安い

        • 気持ちのリサイクルショップ vol.1

          「なんとなく伝える」が怖くなった。 手紙ではなく、沢山の人が見るかもしれないSNSに場所を変えたことで。 「言葉にする」がタスクに見えた。 紛いなりに広報として、文書や表現と向き合うたった数ヶ月で。 「自分なりの表現」が億劫になった。 こんな感じで情けない言い訳を並べるだけの自分のせいで。 でも、「言葉にしたい」と思った。「なんとなくでも伝えたい、できる限り自分なりの表現で」とも思った。 そして何より「言葉にしなければ」と思った。愛おしい日々を生きている自分のために。

        サッカーバカが功を奏して。

          弱みを粗末にせんとって。

          「弱みを見せた方がいい」 飽きるほど言った。飽きるほど聞いた。 実際、弱みを見せて見せて、何かを得た気がしてた。人間関係の最強の攻略法、とか思ったりもした。 でも、 いつも根底では味気なさを感じてた。 マイナスにコミットすることに。 弱みを見せて、感情のマウント取りに行くみたいな姿勢に。 弱みを見せることで近付く距離もきっとある。弱みを見せられる関係に、意味はある。 でも、やっと気付いた。 ずっとずっとモヤモヤしてた違和感。 やっぱこれじゃない。 なあ、その現象は、

          弱みを粗末にせんとって。

          ハッピーエンドでほんまにええんか?

          「感情がのらんかったら書かへん」 私がnoteを書く上でモットーにして来たことだ。その証拠に、執筆を始め1年近く経つにも関わらず、この投稿数。当然、この先鋭たちには私の魂が宿り、誰かの魂へとスムーズに想いを届けている。 はずだった。 だが、読み返してみるとそれが大きな勘違いであることに気付いた。 「なんやこれ、おもんない」 先日、過去に書いたnoteをぼんやり読み返し、失望した。 つまらなさの原因となっているものは何なのか思考し、1つの答えに辿り着いた。それが、タイトル

          ハッピーエンドでほんまにええんか?

          自我と自慢の狭間

          「彼氏作る気あるん?」 ここ数年、この問いにめちゃくちゃ悩まされてきた。 一言で答えると「NO」特に作る気はない。 だってメリットなんてなくない? そもそも、5W1Hの質問をこれほど不純で、不審に使える関係ないもん。 でも、( 浮ついたこと含めて )いろーんなこと考えると即答できないもどかしさ、歯痒さを常に纏ってた。 とはいっても、本心は「生活や感情に窮屈を感じてまで誰かと一緒にいる必要はない。」私にとっての恋愛観とはそれくらいのものだった。 にも関わらず、 銀座の母

          自我と自慢の狭間

          言語化、言語化、言語化。

          「ことば」とは不思議なもので、どんな便利グッズよりも使い勝手が良い。 美人に囲まれた中で聞く「愛嬌あるねっ」に喜ぶこともできるし、成果を出した後の「おめでとう」に悔しがることもできる。 送り手から離れた瞬間に、幾つもの樹形図が生まれる。その全てを受け手が掌握している。そんなイメージだろうか。 ( ちなみに例えの前者、木村朝妃あるある。「この解釈はナンセンスだね。」なんて感想は、極めてナンセンスなのでお控えください。ニンマリ ) とにもかくにも、 私が伝えた

          言語化、言語化、言語化。

          マイナスってポジティブだったよ〜

          人脈と経験を増やすこと 就職活動の最中、私が掲げていた働く目的だ。 言葉の通り、何事においても学ぶことが全てで、豊かになり続けることに誇りを感じていた。 ( 今思うとえらいザックリやなあ。面接とかで真顔でこれ言うてたからなあ。あーブルブルッ ) 働きはじめた後もその姿勢は変わらず、前に進むためには新しい知識が必要で、変化のためには新しい刺激が大切だと思った。そして、環境が二転三転してもこの信念は変わらなかった。 ( おいおい、変わらんの

          マイナスってポジティブだったよ〜

          取り留めのないnote。ん、人生か。

          「書きたいことがないから、noteはしばらくええかあ。」なんて思ってたら、半年以上も時が経った。体感と比例しないことよりも、記憶と比例しないことが恐怖。こわ。 冒頭と相反し、伝えたいことは特にないから、取り留めのない記事になるであろう。( ポップに行きたい。今日は。詩程度の短文でいいや。て、保険かけとこ。だって文章書くの久々やもん。) ここ数ヶ月私が歩いた人生に関しては、どこかのタイミングで詳しく記述したい。生活そのものが私のアイデンティティになった、この期間に関しては。

          取り留めのないnote。ん、人生か。

          死ぬほど本気で生きているか

          社会人になり、2年が経った。学生から社会人に肩書きが変わり、某マンモス大学から大企業へと環境を変えた。外側だけを見ると激動の1年だったことは言うまでもない。 響かねえ あれほどまでに憧れた日々を生きる自分とは裏腹に、リトル朝妃は感じていた。そして、常に危機感を覚えていた。 幼少期は、母の日のサプライズ1つにどきどきした。中高では体育祭で優勝するだけで、言いようのない達成感があった。大学時代は、たった90分の試合に喜怒哀楽し、仲間の言動ひとつひとつに心を揺るがされた。

          死ぬほど本気で生きているか

          学生スタッフよ、大志を抱け。

          やってることが結果に直結しない ↓ 私の存在意義ってなんだろう? 学生スタッフとして活動するに当たり、上記のような悩みを誰しも一度は考えたことがあるだろう。( 朝妃調べ ) あの頃の私にとってもこれは永遠のテーマであった。 その結果、 選手の1ゴールより、1アシストより 価値ある行動とは何か これを「意識→行動すること」が自らの美徳でもあり、チームへの存在価値だと思っていた。 しかしながら、2年の時が経て、少し外から組織を見ることになり、あることに気付かさ

          学生スタッフよ、大志を抱け。

          熱冷めやらぬうちに。

          深夜2時半 美味しいお酒と、心地よい空間から冷め、目を瞑ればすぐ眠りにつける。 今。 私が何を伝えたいか。いや、ここに何を残しておきたいか。 それは至って単純。 今日感じたことを、ありのまま。 「熱冷めやらぬうちに」 正直なところ、noteの使い方すらわかっていないが とにかく、「熱冷めやらぬうちに」 ( そろそろくどいですね。本題に入ります、すみません。) 「最近調子どう?」 私の現役時代を知る由もなければ、直属の後輩でもない。そんな彼との会話はありきたりなもの

          熱冷めやらぬうちに。