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親子の距離感

日記にも書いたが、息子がお盆休みで帰省していた。以下の2つの記事です。

大学時代は時間のやりくりもしやすいし、京都住まいでここから新幹線なども使うと計1時間半ほどということもあり、息子はわりとよく帰省してきていた。高速バスを使って帰ってくることもあったがそれでも若者にはなんてことないようだった。しかし就職して東京住まいになり、新幹線で3時間半かかり、長い休みも限られてくるので、正月とお盆にしか帰省できなくなった。それでも、今はリモートワークをうまく休みの前後にくっつけてまとまった日数で帰省できるのではあるが。

息子が帰省を終えてまた戻っていくと、祭りのあとのようななんとも言えない寂寥感と、50代夫婦&後期高齢者1名の緩やかな生活にまた戻る安堵感とが混ざった気持ちに襲われる。成人した子どもと同居している人や、同居でなくとも近くにいてくれる人のことをたいそう羨ましく感じることもたまにある。特に娘さんと仲良くあちこちへ出かけている人や、なんでも姉妹のように相談し合っている人を見ると、憧れないと言ったら嘘になる。

その一方で彼らを見ていて「ご自分の時間をあまり持つことができないだろうな」とも思ったりする。同居だと食事や送迎など、大人になったとはいえお子さんのことで時間や手間をとられている様子がみられるので。

どうする方がいいとか悪いとかではなく、あなただったらどちらの生活のほうが性に合ってますか、という話。私はいろんなことを総合的に考えて、成人した子どもとは別々に暮らして、たまの休暇に会える関係性のほうが合っているなと思う。一緒に暮らしたら、私の場合は言わなくてもいいことをつい発しては険悪になったり、仕事が繁忙期のときにいろいろ頼まれたらイライラしてしまいそうだ。要するに私はキャパが小さいのである。子どもが小さいうちはそうやって暮らしていたのだから、若さの馬鹿力でなんとかなっていたのだな。

たまにしか会えないと思うといろんな料理を作ってあげるのも楽しいし、一緒にいる間はケンカせずにいよう、と優しく接することができるというものだ。これは自分の両親に対しても言える。結婚で遠く離れたところへ来てしまい、しかも親も高齢化した今、「もっと近くにいてあげたら良かった」と思わないでもない。精神状態が良くない時などは親のことを思うと「自分の選択は正しかったのだろうか」と悶々とすることも正直言ってある。その反面、たまにしか会えないからお互い嫌なことも言わずにいられるし、優しくしてあげられるし、感謝の気持ちのほうが先に立つ。すぐ近くにいたらもっとケンカもしていたり、お互いの嫌な面を見て苛立ったりもしただろう。

人はどうしても選択しなかったほうの道のほうを「もしかしたらあっちのほうがより良い道だったかもしれない」と思いがちである。二つの道を同時に歩けないのに、ないものねだりだ。でも私は、自分が選んだ自分の両親との距離感も、息子が選んだ私たちとの距離感もこれでいいと思っている。息子が自分の好きなことをできて健康に安全に幸せに暮らしていて、これ以上の幸せはない。そして私の両親もきっと同じことを私に思っていてくれると思う。だから結婚で遠くへ行くことに対していっさい反対せず笑顔で送り出してくれたのだ。

この距離感の中で両親や息子にしてあげられる最善なことを選び取りながら、自分の残りの人生を好きなように生きていきたいと思う。そりゃもちろん義母のことをお世話したりなどあるから、好き放題にはできないけどさ(笑)。あと、息子を煩わせることなく自分たちで生きていけるように、働けるうちはしっかり働きます。とか言いながら何年か後に「寂しい~~~息子に帰ってきてほしい~~~」と泣きごとを言っていたら笑ってやってください笑。

現時点では、自分の人生のハンドルから手を離さずに、ご陽気に元気に、行きたい方向へ爆走…いえ、安全運転していこうと思っています。

#エッセイ #自分で選んでよかったこと #息子 #両親 #義母  
#同居 #帰省

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