【エッセイ】とらまる
豆を炊くことになった。
頼みごとを断れないたちなのを恨めしく思う。わたしの時間が浪費されてゆく。
すでにひと晩うるかした豆を一度煮たたせてゆでこぼし、もう一度水からゆでる。あくをとりつつ柔らかくなるまで煮て、砂糖や塩でなんとなく味をつける。
レシピなど存在しないから、すべては感覚だ。
大量なので、なかなか沸かない。
豆の量に対して鍋が小さい。
ゆでこぼす時にシンクに豆が散乱する。
あくがもくもくと出てくる。
なかなか柔くならず、不安になる。
想定内のハプニングに対処しながら、自分の豆へのあこがれを思い出した。正確には、豆料理(あるいは豆を料理に使うひと)へのあこがれだ。
カレーやスープやサラダに豆が入っていると、なんであんなに素敵に見えるんだろう。ほかにたいした具が入っていなくても栄養たっぷりな気がしてくるから不思議だ。
よし、甘く味をつける前に、柔らかくゆでた豆を少しよけておこう。そういうことになった。最高のアイディアに、アクを取るにも力が入る。
そのうちに豆らしい匂いがしてきて、鍋をかき回してもガラガラでなくゴロゴロというようになった。
豆をひとつかじる。柔らかくなっていた。
自分のぶんのゆで豆をよけてから、鍋にザラメと上白糖と塩を放り込む。まだまだ足りないのはわかっているが、砂糖の量に怖じ気づいてここでやめておく。あとは母が好きなように味をつけるだろう。
途方もなく時間がかかるだろうと思われた作業は、小一時間で終わった。小豆であんこを炊くよりずっと早い。
ゆで豆も手に入れたので、浪費ではなく納得の時間の使い方だったとしよう。
今日の豆はとらまるだった。
豆の半面が茶色で、たしかに虎のような模様が入っている。
なんで豆の半面にしか模様が入らないんだろう。不思議だ。
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