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『つながる短歌100 人々が心を燃やして詠んだ三十一文字』の立ち読み

 千年を経て愛される和歌と近現代の短歌。二首を比較しながら人々の変わらない心持ちや慣習に思いをはせ、三十一文字に詰まった小さくて大きな世界を鑑賞する『つながる短歌100 人々が心を燃やして詠んだ三十一文字』(あんの秀子著、朝日新聞出版)。特にガリ版で刷ったイラストは見ごたえ十分です。次回からは本書から全10回の連載としてお届けします。その前に、まずは立ち読み気分で、「はじめに」と「もくじ」そして「この本の使い方」を御覧ください!

■はじめに

 百人一首かるたのブームが続いています。人の声を通して読みあげられる「うた」の魅力はまたひとしおですが、その百首が、万葉時代から鎌倉時代前期までのおよそ六百年にわたる歌の連なりだということにも、驚きを覚えます。五・七・五・七・七の「三十一文字」(みそひともじ)は、大和(やまと)言葉にずいぶんと根づいているのだな、と感じ入ってしまいます。

 日本では『万葉集』以来、数多(あまた)の「うた(和歌)」が詠まれ、文字のかたちで残されてきました。さらにこのリズムは、近代以降は「短歌」として現代までも連綿と続き、時空を超えてテーマや題材を共有することもあります。「三十一文字」が、歴史上に何かとても大きな流れをつくっている。それを見渡してみたい。いつの頃からか、そう思うようになりました。

 例えばこんなふうに――。

これやこの行くも帰るも別れては
知るも知らぬも逢坂(おうさか)の関

蝉丸(せみまる)『後撰集』一〇八九

ふるさとの訛(なまり)なつかし
停車場(ていしゃば)の人ごみの中に
そを聴きにゆく

石川啄木(たくぼく)『一握の砂』

 平安時代前期の歌人・蝉丸は、琵琶の名手だったとされ、高貴な血筋ともいわれますが、どんな人物かはほとんど不明。京都と滋賀の境のあたり、逢坂の関所の近くに住んでいたらしい。

「これはまあ、東に向かう人も都に帰ってくる人も、知っている人も知らない人も、別れては逢うという逢坂の関なんですよ」。歌はこんな意味ですが、行き交う人々を眺めているうちについ口からこぼれて歌になった、難しい言葉などなく、リズムがよくて、フォークソングみたいになった、と考えてみたくもなります。

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 出会いと別れの繰り返し、とどまっていることのない私たちのそんなありようを、明治人の石川啄木も感じていたようです。ふるさと岩手を離れ、流れ流れて東京にやって来た啄木。新聞の校正の仕事の傍らで、詩歌や文章を書いているのですが、すぐには売れません。しかし、この三行形式の短歌はすでに、まごうことなき「啄木印」。

「停車場」は上野駅と考えてみてもいいでしょう。汽車が着くたびに人々の群れが大きく動き、言葉のさんざめきが伝わっていく。上野は東北の玄関口ですから、岩手の訛(なまり)を話す人もいるでしょう。「なつかし」とは故郷への愛着の気持ちが込められていますが、一方で、故郷から離れているからこそ慕わしい。啄木にとっては、帰ることの難しいふるさとなのです。

 琵琶の達人・蝉丸は、鋭い耳を持っていたと思います。停車場で「聴く」啄木もしかり。そして、この二人は故郷や出自からの離脱者であり、人々が盛んに離合集散し、平安京という都、東京という都市が繁栄を迎えようとしている「都の時代」の象徴でもあるのかと思えるのです。

数百年、あるいは千年以上の時を隔てつつも、テーマを同じくする歌同士、時代は同じでも別の視点から詠まれた歌、恋人同士の贈答歌……。

 この本では、『万葉集』から現代までの歌を百首選び、二首ずつ(ときには三首)をくらべてつなげ、歌人、時代背景、そして歌の歴史へと、思いをたぐり、めぐらせます。つながる歌と歌、そしてそれらが起こす思わぬ化学反応を、お楽しみいただければ幸いです。

■もくじ

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■この本の使い方

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