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歴史の違和感からはじまる中世の沼にようこそ 指の隙間から鑑賞する「鎌倉殿の13人」の先へ

 新刊が出る度に、広告を作り、POPを作り、チラシを作る。宣伝課のしがないスタッフである築地川のくらげが、独断と偏見で選んだ本の感想文をつらつら書き散らす。おすすめしたい本、そうでもない本と、ひどく自由に展開する予定だ。今回は、細川重男著『宝治合戦 北条得宗家と三浦一族の最終戦争』(朝日新書)を嗜む。

細川重男著『宝治合戦 北条得宗家と三浦一族の最終戦争』(朝日新書)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も後半に差しかかり、毎週嬉々として三谷ワールドを満喫する方と、あまりに主要人物が不幸な最期を遂げ、退場していくので、鬱に感じる方がいるだろう。これほどまで「闇落ち」という言葉がネットを賑わせる大河ドラマは記憶にない。

 江戸幕府末期、明治維新を描いた作品では未来に思いを馳せ、そのために命を散らす登場人物の悲劇が多く、ドラマのなかに共感できる人物を見いだせなくなりがちだが、中世はそんな幕末とは比にならない。なにせ毎週のように主要人物が権力闘争に敗れ、半ば言いがかりをつけられ、無残に誅殺されるのだ。手で顔を覆い、その指の隙間から「鎌倉殿の13人」を覗くように鑑賞する方もいるのではないだろうか。

 中世がどんな時代なのか。その概略を知る歴史民は冷静に鑑賞できるが、「いい国作ろう鎌倉幕府」「一味散々、幕府の滅亡」程度の知識だと面食らうだろう。

「頼朝が鎌倉に開いた日本初の武家政権、その後、後継ぎが途絶え、北条氏が執権として政権を維持した」

 相当ざっくり鎌倉期を表現すれば、こうなる。これがいかに不自然なのかに気づくと、この時代に猛烈な興味がわくにちがいない。

 よくよく考えてみよう。鎌倉殿において源氏はたった3代。正確には2代頼家と3代実朝は兄弟なので、たった2世代38年間しかない。2代頼家は北条時政に追放され、修善寺で斬殺、時政が担いだ3代実朝は、頼家の遺児公暁の手により鶴岡八幡宮で暗殺と、源氏、鎌倉政権内の怨恨の連鎖は止まらない。立ち上げ当初からここまで怨恨渦巻く政権はほかにない。どんだけみんな病んでいるんだ。

 室町足利は15代250年、江戸徳川も15代265年。鎌倉以後の武家政権はきっと鎌倉を反面教師にしたにちがいない。どちらも直系ではなくとも、セーフティーネットを張り巡らせ、将軍継承をシステム化、最後まで将軍家はどうにかこうにか続いた。

 怨恨の連鎖が止まらない、超不安定政権、そんなドタバタな政権運営の変わり目が「宝治合戦」だ。細川重男著『宝治合戦 北条得宗家と三浦一族の最終戦争』(朝日新書)はこの諍いをたっぷりと解説してくれる。

 まず、この本は朝日新書だが、半分以上は文芸作品。帯にあるように作者が書いた小説を200頁収録。題名は「黄蝶の夏」。京極夏彦氏の「姑獲鳥の夏」にも引けをとらぬ、まあまあのグロさ。あえて生々しく坂東武者の暴力を描く。「鎌倉殿の13人」はまだまだ優しく感じものだ。ひとたび、争乱となればかくも凄まじいものかと。それが平穏な世の価値を高める。

 この小説にも登場する北条時頼こそが、怨恨の連鎖を断ち切った人物なのだ。源氏を失い、鎌倉殿を巡る諍いは絶えない。時政、義時、泰時、経時と続く北条執権政治が抱える政治課題こそが、鎌倉殿の権威だった。何者かが自家の血縁を利用し、乗っ取りかねない。威光なき鎌倉殿の権威回復こそが必要であり、源氏に匹敵する血筋が求められた。その唯一の手段が朝廷からの将軍下向。武家の棟梁に朝廷がつくということだ。

 親王将軍という発想は北条政子、義時のときにもあったが、後鳥羽上皇に阻まれた。かつて義時の盟友だった義村の三浦家を滅ぼし、ようやくそれが実現された。逆を言えば、時頼が親王将軍を実現させるためには三浦家を滅亡に追いやらなければいけなかった。その葛藤を小説「黄蝶の夏」は存分に表現する。

 怨恨の連鎖を断ち切るという理想、そこに向かうための政治課題である親王将軍の実現。理想と目的と手段を決断、実行できた時頼という政治家がいたからこそ、鎌倉政権は源氏なきあとも続き、140年超も維持できた。歴史にタラレバは厳禁だが、北条と三浦の間で和議が成り、宝治合戦が勃発しなければ、北条執権体制は長くは続かなかっただろう。

 一方で時頼は宝治合戦後に一気に権力が集中した執権職についても、その就任する順番を細かく定めた。前の執権が次を決めるとなると、急死した場合、その継承はお墨付きを得ない。だからこそ予め順番を定め、政権内部、北条家内でケンカが起きないようにした。

 内部闘争は必ず御家人の間にも飛び火、騒動は大きくなる。執権職委譲のシステム化は火種を絶やす仕組み作り。時頼は鎌倉の未来をも作ったのだ。

 権力闘争、武力衝突による解決が目立った鎌倉前期から中期を総括したような時頼の政治改革は見事の一言。そして、この権力継承を目的とする争乱を防ぐシステムづくりは以後の武家政権のヒントにもなったはずだ。

 北条泰時は御成敗式目を制定、法整備を進めた善政の象徴だが、その泰時も断てなかった鎌倉に渦巻く連鎖を断ち切り、さらに民に寄り添うところまで政治を発展させた時頼について、細川氏は小説と解説を通じて丹念に説いた。泰時が観音菩薩なら、時頼は地蔵菩薩にたとえられたという。なるほど地蔵菩薩は納得だ。本書を読み進めると自然とそんな気分になる。時頼が庶民に扮し、諸国を巡り、苦しむ人を助けたという廻国伝説がある。まるで水戸黄門だ。ま、水戸黄門も創作だが、もちろん、時頼の話も史実ではない。だがしかし、そんな説話が人々の間に残ること自体が時頼の善政を暗に物語る。

「鎌倉殿の13人」が描く時代とは少しズレるからと本書を読まずにパスするのはもったいない。大河ドラマをきっかけに中世に興味をもったのであれば、ドラマが描かないであろうその後の鎌倉までどっぷり沼にはまってほしい。

(文/築地川のくらげ)


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