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親友


⚠️親友の死が関係する話しにもなりますので、そういった文章を読みたくない方は読まないで下さい


大人になると知り合いも増える
でも大人になってから出来る友達に
親友と呼べる人と出会える確率は少ない

気遣いを覚えてしまった大人は
子供の頃のように土足で相手の心に入ってしまう事をほとんどしない

お互いをさらけ出してぶつかり合う事がない
ぶつかり合ったとしても子供の頃のような修復は大人はとても下手だ

"俺には親友がいた"

親友と呼べる友人は
もしかしたら奴だけかもしれない

幼稚園からずっと一緒だった
自宅も目と鼻の先だ
学生時代は勉強もろくにせずに
毎日ふざけていた
俺も馬鹿だが奴も馬鹿だ
ヤンチャばかりしてた頃を思い出す

掴み合いの喧嘩もよくした
でも次の日には窓に小石投げつける
それが俺と奴との [遊ぼ] の合図だった
昨日の事など笑って許せる仲だ

大人になるにつれ奴は酒が手離せなくなった
完全なアル中だ
昔から知る人とは挨拶も出来る低姿勢な奴だが
知らない人には突っかかる
その頃には至るところで
"危ない人"と認識されていた

家庭の事情もある
弱い心もある
根は純粋で優し過ぎる奴だから
生き辛い世の中だったと思う

止めてやる事が出来なかった酒
どついてでも
もう飲むなと言ってやれなかった事を
今は悔やむ

奴とは数年間の空白がある
アル中に加え鬱もひどくなり
酒を買う以外誰とも会わず
家をほぼ出なかったからだ

数年後
俺や数人の友人は奴の家に行き
部屋から出て来ない奴と玄関から何度も会話をした

そんな事を繰り返してる内に
調子の良い時なのかは分からないが
部屋に入って喋る事も少しは出来るようになっていった

俺や友人は今がチャンスだと思った
夜中にラーメン屋連れて行ったり
あてもない短いドライブをしたり
一緒に酒を交わしたりもした

奴は徐々に変わっていった
相変わらず常に酒は必要だったが
俺は奴との青春を再び感じている気分だった

それから奴は仕事をするようになる
でもやはりお酒のせいで何をやっても仕事は駄目になっていく

その頃かな……
奴を家に呼んで母親の飯を食べさせてやった事が何度かある
奴の両親は若い頃に他界していて家庭の料理を久しく食べてなかった

『美味しいわ、ありがとう』と言いながら
涙ぐんで食べていた姿を今でも鮮明に覚えている

しかし酒でぼろぼろになった体は
毎回一人前にも満たない量の半分も食べきれない状態だった

体の事は心配だが
この頃にはもう奴は "大丈夫だ" と俺は思っていた
昔のように馬鹿言って笑えたし
奴から家に来るようにもなっていた

だが違った……

『貸したゲーム取りに行っていい?』

奴からの電話だった
直ぐに家の前まで来たので俺はゲーム片手に家から出た

奴はぎこちない笑顔で
『急にごめんなぁ』 とだけ言った

それに対して俺は
『なんや元気ないな、酒足りてへんのちゃうけ? 買いに行ってこい』と笑って言った

これが最後の会話だった

奴はその後直ぐに首を吊って死んだ

何か俺に伝えたかったのか、分かってる事は死ぬ直前に俺に会いにきてくれた事
それだけだ……

なぜあんな言葉で家路に向かわせたんだろうと
悔やんでも悔やみきれない

後から分かった事だが奴は遺書を何度も書いていた
死後自宅に届くようにと考えての行動か分からないのだが、遺書を書いて投函はするものの、死ねずに何度も自分自身でその遺書を受け取っていたのが分かった

数枚の遺書は奴の悲しみを物語る
奴は笑顔でいた時も苦しんでいた
それも気づいてやれなかった

深い鬱から解放されて
逆に現実を冷静に考えてしまった為に
最後の行動をとってしまった気がする

俺が思っていた奴は "大丈夫" という安心感は完全に間違っていた
なんならギャップのある幸せな世界を見せてしまった……とさえ思ってしまう

奴がこの世を去ってからもう何年も経つ
それでも一緒に聴いた音楽が聴こえてきたり
奴が好きだった漫画の続きなどが発売されると
聴かしてやりて~なと思うし
読ましてやりて~なと思う

生きてる頃に俺の相談事もたくさん聞いてくれた
死んでからも色々聞いてもらってる
あらゆる事で
何度も何度も会話をしてる

した事のないような会話でも奴ならこう言うなってのが俺の中では明確に出てくる
俺の中の奴は俺と一緒に歳をとるし
常に更新されている

"俺には親友がいる"

今もずっと……俺と生きている

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