見出し画像

理想の個性というパッケージ


私は踊りをしています。

そうするとね、

「自分らしさ」とは「オリジナリティ」とは「インパクト」とは

「個性」とは

という風に思考が向きやすいのです。だって何かに目立つにはそういうの必要でしょう?商品開発にしても、事業を起こすにしても。

でもさ、ちょっと気付いちゃったんだよね

この世間の中には個性っていうパッケージがある。

よく考えてみて、今就活だって学校教育だって、個性というものに目を向け始められてさ、入学試験でも自分の意見を述べる出題が圧倒的に増えたり、メディアの世界でもアイデンティティを売る人たちがフューチャーされ

「自分らしく、生きる」

なんて主軸の人たくさんいるじゃない?そうして世の中は“自分を持っている人がかっこいい!イケている!さああなたの意思を!”なんて風に動き出している。そして誰しもが自身の中に眠っているであろう個性について考え探り見つけ出す旅に迷ったりもする。

でもこれってさ、すでに世の中がつくった「カッコイイ個性」だったりもする。つまりさ、もう誘導されていると思うんだよねイケてる個性という枠に。もちろん、そうじゃない場合もあるけれど、メディアで目にするものインフルエンサーの刺激からの憧れ、欲。そして、企業が求める「個性というジャンル」少し、視点を変えるとね先の見える求められている枠だと思っています。たまに吊革広告に「個性を育てる」なんてものもありますが恐ろしいと思った。

画像3

私はずっと普通になりたかった。

小中学校と義務教育期間全く学校に行けていなかった9年間、近所からはいわゆる「個性的な子ども」だったと思う。目立っていたし謎がられていたしあの家庭にはどうやら学校へ行っていない子が居るらしいと有名だったと思う(不登校ではなく登校拒否の時代だったので田舎ではまだ言葉すら認知がなく変人くらいの領域だったと思います)

私はずっとみんなと一緒になりたかった、足並みを揃えたかった

どうして私は当たり前のことができないんだろう
みんなが普通にできることが出来ないんだろう

学校にくことが出来ないんだろう

朝起きて、学校にいって、授業受けて、給食して、帰って、遊んで、夕飯を食べてお風呂はいって寝る。

っていう毎日がおくれないんだろう。

ずっと9年間思っていました。個性なんて一つも欲しくなかった。ずっと紛れたかった。

面白いものですね、時を経てダンサーをしていると「オリジナリティ」が大切だなんて思考になっていたりする。悩んだりもしちゃってさ。そんな時に思い出すのです。あの頃の自分を。

朝10時位に学校の前まで行って門をタッチして帰って来ようと家族に約束された。地獄だった。だって変な時間に7歳の女の子がウロウロしていたら必ず近所のおばさんに「遅刻かい?」「大丈夫?」と親切に声をかけられる。私は幼稚園の頃母が派手な服が好きだったので、赤やピンクを着ていたが、次第に青が好きなった、アースカラーの服がきたかった。

画像4

目立ちたくなかった。

何が言いたいのかというとね、

個性って孤立の中には生まれないということ。

そして、自分の足場ができて初めて生まれるということ。

育てるものではなく、気づかせてもらうものだと思っています。

自分探しの旅に大抵自分は見つからないのと同じということ。

今の私はようやく、少しずつ自分の心がプチっと光る主張が見えてきた気がして居ます。足の裏で表現したら、浜辺に行って、少し海水で濡れた砂を足の指で掴んだり、波によってサーーっと足の周りの砂が減ってく感覚を感じる様な、足場を感じられる感覚です。

ダンス的にいうと自分は土っぽい表現というか踊りが好きで、腰と床との距離を割といつも大切に意識して居ます。そして床の平行に対しての縦横の体のライン、つま先とかかとに対してのヘソの向き。膝を曲げた時のヘソと口と鼻の位置を大切にする。床を感じることは空を飛べるのと同じ。

地面に立つってこと、頭のてっぺんから空までの距離が空間が変形し、そのあたりが凄く気になりながら踊ったりもします。

そこに「個性」も「オリジナル」も「インパクト」もない。目も無い。角度はあるけど視点はないし、なんにもない。誰でもない。

そしてハッと周りを見て、物があって、人が居てはじめて「あ、私ここにいてこの身長で立ってる」って思います。誰かが何かが無いと認識出来ないんだと思う。比較できてよかったなって思う。

今社会的にも比較はよくないとされているけれど、少し危険だと思うし、私が言うのは変だけど、比較し、比較されることで「優しさ」と「自分」が生まれると思う。「比較と個性とヘソの位置」を考えるべき見直す時代だと思っています。

自己啓発本ではよく自分の物差しを持とう!とかあるけどさ、これって自己の世界で突っ走るんじゃないよね、よく考えないとちょっと違うっちゃうよね意味。

そうそう、ある時に親友から

「asamicro!!これ読んでみてよ!asamicroだよ」と回された記事があった。

光浦靖子さんのエッセイだった。

何回も何回も読んでしまった。そして凄く嬉しくなった。

わたしは勝手ながら友達になりたい有名人が何人かいて笑、お話をしてみたい人が居ます。

みんなもそう言うの考えたりするでしょう?

わたしはね、安藤サクラさん、片桐はいりさん、青木 崇高さん、小林聡美さん、小林エリカさん、満島ひかりさん、篠原ともえさん、藤代雄一朗 (DRAWING AND MANUAL)さん、さかなくん、ハリー杉山さん、ガンバレルーヤのよしこさんに今の所本当にあってみたい。(他にもキリがないけど)生きてるうちで会えたらいいなって思います。安藤サクラさんと片桐はいりさんは少しだけどお話しさせてもらって痺れた。地に足の着いたオーラでした。

そして光浦靖子さん。かっこいいなって思います

光浦さんの刺繍も本当に凄んです。まだ知らない人は見てみたら良いと思うよ。凄く鋭くて可愛くて強い。

https://www.vogue.co.jp/lifestyle/culture/2017-02-09

こう言う人が表現者だなって腹から思います。

あ、余談だけど

わたしはいつか、キャロットケーキとグラノーラを極めたいかな。


さて、


アートボード 6


そんなわたしが大変お久しぶりですが、

2021年2月27日に自分主宰のユニットの旗揚げ公演を行います。

egg life(エッグライフ)という名前をつけました。

毎日同じ朝ごはんを食べているんだけど、同じ卵の殻のヒビって作れないなぁ〜って、確実に1日を過ごした証拠だなって眺めていたら、面白いと思った。ダンサーとかアーティストとか関係なく、

この世界で卵料理を今日作った生きている人たちがみんな見れる景色で証拠で作品だと思った。

生活を踊りたい。

自分はもっとも弱くてビビリで人に紛れたかった自分の中の「普通」を取り戻しながら「普」段「通」り過ごす時間を作品にしているんです。

だからこれは今日も起きてくれたあなたにもきっと繋がると思う。

間も無くチケット販売が開始されます。

みんながみんな毎日を生きているから、だから怖くて不思議で期待で楽しみ。

ストリートノイジーなダンスで飾るノンストップパフォーマンス

egg life 旗揚げ公演「白く、壊れて、生まれる」

演出/構成/振付:asamicro
【A作品cast】
asamicro 、北川結(モモンガ・コンプレックス)友情出演
【B作品cast】
Atsumi、愛由、TETSUO

———————————————————
※チケットの販売は、2月初旬予定となります。
決まり次第お伝えします。

【公演に関するお問い合わせ先】
egg life crew

egglife.performance@gmail.com

Twitter → crewのみんなでツイートするよ!

Facebook → egg life旗揚げ公演ページ

死にはしないけど、生きてる事と実感させられるくらいに頑張って居ます。asamicroにちょっとプレゼントしてほしい。

チケットを買ってわたしの作品を見てください。

asamicro

制作活動を行うにあたり、あなたの力をどうか貸してください!ご支援頂いたサポートは国内・国外で朝ごはんダンスの展示やパフォーマンスが出来るように使わせていただきます。