目先を変える。
突然ですが、私には日曜日の楽しみが朝と夜にある。
夜はちびまる子ちゃん。もし家にいたら必ず観る。
そして朝は、
365日の献立日記の沢村貞子さんの思考が時に自身の歩みを止めるし、時に自身の歩みへ拍車をかける。
今回は
“目先を変える”
分かっていても、私みたいなタイプにはとても難題だったりするのだ。
前回のnoteに記載したように、近年の私はドラマやテレビが30分で飽きてしまう。それなのに、動画を作ろう!振付の素材を調べよう!と思って作業を始めると、マグカップに入れた飲み物を一杯飲み終えてから気がつくと4時間経っていることはよくある。全く周りを見ずに集中できる。良い事もあるけれど、目先をカタチにしたらきっと穴が空いている。
自身に集中するということは、おかしな話ですが時と場合によっては本質を失うこともあるように感じます。
「は!これいいやん!」
で初めて、色々なことを調べて、学んで、比べて、、、、、
「ん?結局何が言いたかったのか?・・・」
となることって有りませんか?
私、意外に多いのです。
作品を作っていて、一生懸命に音や振付を何時間、いや何日もかけて苦労して苦しんで向き合って、なのに何も伝わらない“ややこしい”事になっている。集中して集中して集中しすぎて、直感で見えた背景への想いが、気がつくと手前の物質的な物のみに思考を使い、そこから関係性ある物事へ照らし合わせてゆくと最終的に自分では無い誰かの声に変わっていたりする。
「風の便りの知らせ」って実はすごい力を持っている?!
そんな気にもなります、たまにムーミンのスナフキンが凄く本質的なことをさらっと言って消えていくことあるじゃ無いですか?
物事や、人って一つのことから完成されていないから、本当は周囲の空気を含む=目先を変える。と言った行動と思考を持って初めてその人らしい発言や作品に奥行きをもたらすんだろうなと改めて思います。
突き抜ける熱い思いや、負けたく無い!!
そんな時ってとてつもない集中力で強さで向き合えます。
でも、熱い想いや負けず嫌いに対して、相手方の興味って「その人ならではの思考・行動=個性」となると、目先を変えるムーブはとても遠回りなダイレクトな私だけのポートフォリオの完成に近づくんだろうなと思いました。
単純な私なので、この貞子さんの放送を見て、ああ〜寿司、食べたいし私もシャリ握ってみたいな、あの包丁切れそうだな〜いや包丁研がなきゃ!そんな感じでぴょんぴょんと頭の中が踊り続けました。だからなんやねん。と思うことなんですが、
包丁の切れ味を求めて、シャリを握りたいという欲求から、このダンスを作りましたって作品があったら、多分それは私にしかない踊れない作品になると思う。
目先を変えるって、余計でいてあなたらしい時間を作るわね。
今日も最後まで見てくれてありがとう。
そうだな、20回くらい練習して凄く美味しくできたマグロの握りをあげたいくらい嬉しいよ。
そして!!今週末はオンラインZOOMによるセミナー講師をさせていただきます。
題材は「不登校とダンス」について。
誰でも無料で参加ができますが、ご招待のURLが届くスタイルなので、事前のご予約が必要となります。是非是非初めましての方とも出会えたら嬉しいです(^ー^)ちょこっとだけでも覗きにいらしてくださいね。
制作活動を行うにあたり、あなたの力をどうか貸してください!ご支援頂いたサポートは国内・国外で朝ごはんダンスの展示やパフォーマンスが出来るように使わせていただきます。