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日々を重ねることへの思いを

「もう1年経ったのか・・・」

1年という時の流れを最も強く感じるのは春だ。
正月よりも、春。
9年前に乳がんを患った頃から、そう感じるようになった。

春一番が吹き、さまざまな山菜が野菜売り場に並びはじめる。まだ肌寒い日がつづく中にも水温むような日があるようになり。やがて南の方から桜前線が上ってくるニュースが流れ始める。

「ああ、1年経ったなあ」としみじみと思う。

若い頃は花見なんて集まって酒を飲む口実くらいなものだった。
が、この歳になり、病気も経験すると「また今年も桜を見ることができた。ほんとうによかったなあ」と思うのだ。
多くのがんは治療して5年くらいの間再発しなければ、とりあえず寛解ということになるのだが、乳がんは忘れた頃に再発することもあるということで、だいたい8年から10年くらいは用心して経過を観察しなくてはならない。私の場合、左右の胸に同時に2つのがんができたこともあり、再発しなくても新たにまたできることもあるかも・・・と胸の奥には不安があった。春が来るたび「今年も再発しなかった」とホッとしたものだ。おかげで今のところ無事でいる。

春が来て、桜を見ると、「ああ、今年も桜を見ることができた。来年も見られるといいな。」と思う。
学生時代の友人や、仕事仲間など同世代の人の訃報が届くこともある年齢になった。去年の桜を、この同じ日本の空の下で眺めた人が、今年はもういない。来年いないのは、自分だということだってありうることだ。災害や感染症もある。

「あと何回桜を見られるのだろう・・・」
満開の桜の下で、いつもそう思う。そして、もうともに桜を見ることができない友人や仲間のことを思う。今年もそんなことを思いながら、できるだけ人の少ないところを歩いた。

日本の女性の平均寿命は87.45歳だそうだ。
世界に冠たる長寿大国。
そうか、そこまで頑張るなら、まだ28~9回あるか。でもたったの28回という気もするしね。

私の花見は、ただ桜の下をそぞろ歩き、枝を見上げる花見だ。特に飲食もせず、ぷらぷら歩いて疲れたら帰る。今も仲良くともに生きてくれる人々や、この世を去った人々のことを思う。
先日、わたしよりずっと若い方が亡くなったと知った。深いおつきあいはなかったのだが、その活躍には注目していたので、驚くとともに残念な思いでいっぱいになった。ご家族のお気持ちは如何ばかりだろうか。これから先、咲き誇る桜を眺めるたび、1年経った、2年経ったと指を折ることになるのだろう。

桜といえば、パッと咲いてパッと散る「滅びの美学」のように言われるが、よく考えたら桜はちっとも滅んだりしていない。まだ極寒の冬の最中にすでに枝の中でつぼみを作り、暖かくなるとともに爛漫と咲いて、散ったならそのときはもう、また次の年の花の支度が始まっている。こうして1年ごとに繰り返し再生している。そう思えば「滅びの美学」は桜に失礼というものだろう。

桜の下を歩きながら、繰り返し再生し生きて行くことのありがたさを感じるのみだ。

中医学では1年の間に天と大地の陰と陽が互いに成長したり消え去ったりしていると考える。冬は陰の気が満ち、大地も体も閉ざされている。それが春になると、たちまち陽の気があふれでて陰の気を追いやって、一切のものが目覚めるというわけだ。「陰消陽長のとき」という。

春の食卓に並ぶ山菜は、まさに「芽吹きのもの」。大地から、硬い枝から、むくむくと顔をだし、たちまち成長する。山菜からその再生と成長の力をいただくために食べる。ほろ苦いものが多いが、ほろ苦さには解毒=デトックス効果があるとされていて、閉ざされた冬の間に溜まって毒を排出して、体を軽くしようという意味もある。

たらの芽、芽キャベツ、新玉ねぎ、たけのこのフリット。

ふきのとうのパスタ。

せり、うるい、こごみ、たらの芽。

ナムルや胡麻和えにして、ビビンバにしました。賑やかな春の野山のようになった!


そら豆とほたるいかのいためもの。

今年も春のものをよく食べた。
山菜はあっという間に旬を過ぎ、桜前線は東京を通り過ぎて北へと去った。桜餅は早々と柏餅にその座を奪われているようだ。

来年の春も健康で、家族、仲間と迎えられたらいいなあ。

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