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春になると思い出すこと

今年の富山は4月に入っても雪が降った。
それでも2日前にはソメイヨシノが満開を迎え、今週末は冬の間どこにいたのだろうというくらいのたくさんの人が川沿いで花見をして、まっすぐ歩けないほどにぎわっていた。

いつも桜で春の訪れを実感するが、今年はもっと印象深い風景に山奥で出会った。

3月上旬に、山を管理する人に案内してもらい、ふきのとうを採りに行った。今年は平野部では全くといっていいほど雪が降らなかったけれど、車で山奥に進むと残雪があった。

朝8時、山の途中で車を降りると、視界がぼんやりと潤んで白っぽい不思議な明るさに包まれた。なんだか別の惑星に、ぽんと落とされたような感覚に、これはなんだろう、と眠い目をしばたかせる。しばらくして、青空から降り注ぐ日の光が残雪と白い枯れ草に反射しているのだと気づいた。まだ鋭さの残る寒さの中に、甘く鼻をくすぐるやわらかな匂いを感じ、雪解け水の勢いも加わってざあざあと流れる川の音を耳にし、ああ、春がきたなあ、と感じた。

北陸に越してきて、春は大地が瑞々しく潤い、光を放つものだと知った。

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春がくると、ハルキのことを思い出す。
生まれてくるはずだったわたしのいとこだ。

母は3人きょうだいで、わたしには5人いとこがいる。最近は全員が集まることはめったにないが、高校生までは、盆と正月は祖父母の家に親戚で集まり、わたしの姉も入れて7人で、まるできょうだいのように公園やトランプで遊んだり、一緒に寝泊まりしていた。

その中でも、母の妹である叔母の娘のさやとは一緒に過ごす時間が長かった。叔母夫婦は共働きでいつも夜遅くに帰っていため、夏休みになるとさやとわたしの家族は一緒に旅行に行っていた。

あれは小学2、3年生の時だったろうか。父が運転する車に乗っているとき、祖母と母がひそひそ話す会話から魔法のような言葉が耳に飛び込んできた。
「●●(叔母の名)に子どもができたんだって」
「そうなの?!」とわたしが飛びつくと、母は口に指をあてて「まだ内緒だよ」と言った。もうひとりいとこが増えるんだと、とにかくびっくりしてわくわくした。

でも結局、赤ちゃんは生まれてこなかった。流産だった。赤ちゃんができた時のことはあんなに嬉しく記憶しているのに、流産のことはどうやって知ったのか覚えていない。

その年の夏。
夏休みにわたしの家族とさやは伊豆かどこかの海に行った。その旅行で、ひとつだけ鮮明に覚えている場面がある。

皆で夜ごはんを食べにいった帰り、さやとわたしは、海岸沿いを歩いていた。月明かりに照らされる中、砂を蹴りながら歩く足元を見ながら並んで宿に戻っていた。右側にはどこまでも続く真っ暗な海に波が穏やかに打ち寄せ、左側には車が行き交って対向車のライトがまぶしかった。

何かの拍子にさやが「春に生まれる予定だったからハルキって名前にするつもりだったの」と言った。
「生まれてきてほしかった?」とわたしが聞いた。
「うん」とさやが答えた。

今でもこの時のことをたまに思い出す。
なぜわたしは「生まれてきてほしかった?」なんて聞いたんだろう。
一体、何を確認したかったのだろうか。

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わたしは就職してから仕事で盆や正月に帰省することも減り、年下のいとこたちも社会人や大学生になって旅行やバイトと、なかなか皆がそろうことは少なくなった。

それでも久しぶりにいとこたちと会えると嬉しい。一番年下の子も気づいたら高校3年生になり、久々の再会だと最初はぎこちなさが気まずいが、相変わらず皆で子どものように過ごす時間が好きだ。

そんなときにふと、ハルキがいたらな、と思う。
悲しみではない。ただ、いたらな、と思う。

それから思い返す。なぜあの夏の夜、わたしは「生まれてきてほしかった?」なんて聞いたのだろうか。

最近になって、あまりにも密やかに語られていた命のことを、「生まれてきてほしかった」という言葉で形を与えたかったのかもしれないと思うようになった。さやもわたしもハルキに会えるのを楽しみにしていたんだ、とその存在を確かめたかったのかもしれない。

あの日以来、ハルキのことは親戚の間で話に出たことはない。まだ小さかったいとこたちの中にはハルキのことを全く知らない人もいるだろう。生まれてこられなかった理由も、誰も口にしない理由も分からない。

でも、わたしは覚えている。
命が宿ったと聞いたときの喜びと、あの夜の海のことと、ハルキという名前を。わたしはずっと覚えている。生まれてこられなかった命がある、というただその事実をわたしは記憶し続ける。

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