見出し画像

精神訪問ナースの奮闘記〜自分の感情はどこにいる〜

感情って、自分の中に当たり前のように存在しているけど、どこまで自分自身で気づく事ができているのかと疑問に思ったりしています。

最近、音楽を聴いている時に、ふと亡くなった祖父のことを思い出しました。その時に、「懐かしさ」や「楽しかった出来事」が、頭の中を音楽と共に駆け巡っていったのです。そして同時に「もう会えないという悲しみ」を、自分の中で感じたのです。

日常は慌ただしく過ぎていきます。ぼーっとしていたら自分の感情に気がつかない。いや、ぼーっとしていなくても感情を見失っているかもしれない。

私は、感情は絶対的なものだと思っています。感情に嘘も本当もありません。「自分がそう感じた。」という事実でしかないと思うのです。

自分の感情に気づいていない状態は、ある意味で自分を抑圧しているのかもしれません。特に「悲しみ」や「怒り」はできれば感じたくはないでしょう。それゆえ、その感情には目を向けないようにしてしまう。なかったことにしようとする。それで、それらの感情を自分で眠らせてしまう。そういった反応って無意識に起きているのかもしれません。

でも、感情は絶対的です。眠っていても、自分の中のどこかに存在しているのです。存在に気がつかない、つまり自分を抑圧しているということは、自分を否定していることにもなるのではないでしょうか。

ならば、自分の感情に気づくことが必要です。しかし、自分の感情を感じるのって意外と難しいものなのです。「よし、気づこう。」と思ったところで、何かが起きるわけでもない。大事なのは、きっかけです。何かのきっかけがあった時に、ココロは動き、感情を生み出します。

私は、音楽というきっかけによって、眠らせていた「悲しみ」を目覚めさせたのです。「悲しみ」は確かに存在していた。ならば、否定するわけにはいきません。その否定は、自分を否定することと同義だから。私の中の「悲しみ」は「ココにいるぞ。」って私に言っているようにも思えたのです。

私は「悲しみ」に気づき、存在を認めることができました。私はこうして、また自分を認めることができたのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?