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誰にも気づかれなかった、「勉強ができる」ことのしんどさを、今書いてみよう。 

こんにちは。

高齢出産、ワーママ医師のあさちょこです。

12月に6歳の息子の発達検査の結果が出てから、色々な気持ちが錯綜していたのですが、私の中での不安が、自分の小学校時代の思い出とかなりリンクしていることが明らかになってきたので、ここに書き留めてみようと思います。


私の小学校時代

ぶっちゃけ、私は、勉強がよくできる子どもでした。

教科書を読むのも速く、特に国語の教科書は、最初の数日で全部読み終えていました。それだと授業が面白くなくなるので、読まないようにしていたのですが、本のページをめくる楽しさに抗えず、結局毎年最初の授業が始まる前に完読してしまい、授業の時には「あ〜、これね」という感じ。

授業時間は、基本的には他の子どもたちの理解を待つ時間。私にとっては一度説明を聞けばわかることも、繰り返し繰り返し説明されます。その時間、私はただぼんやりしたり、空想を広げたりするしかありませんでした。

母からは「小学校で習っていない漢字は使わないように」と言われていました。

私は読み書きできる漢字が、同じ学年の子より格段に多かったのですが、友達に当てた手紙か何かに、難しい漢字を書いていたのでしょう。母はそれを「自慢しているように見えるかもしれない」と心配していたようです。

母のその言葉を聞いてから、使う漢字を選ぶようになりました。振り返ると、自分を周りに合わせるための小さな努力だったのかもしれません。

他の友達との話も、なんとなく噛み合わないことが多かったように思います。周りの子供たちが夢中になっているテレビ番組、ゲーム、アイドル、漫画には、あまり興味が持てず…。特に、いわゆる女子の「グループ」には馴染めず、自然と、教室の中で一人でいる時間が増えていきました。

華やかではない、地味〜なグループに「在籍」していたこともあったのですが、それもなんとか自分の居場所を作るためで、結局楽しかったかというと…、まあ、そういうことですよね…。(当時のお友達、ごめんなさい!)

そんな日々が続くうちに、学校は私にとって少し息苦しい場所になりました。

先生も、友だちも、みんな私に悪意があったわけではありません。私も当時はそれ以外の世界を知らなかったので、学校に行かないという選択肢はおろか、「息苦しい」という自覚さえありませんでした。

それでも、「何かが違う」という感覚は拭えず、学校生活はどこか居心地の悪いもので、毎朝、重い気持ちを抱えて登校していたことを覚えています。

今思えば…

社会人になり、明るい気持ちで仕事に向かえるようになってから、「あれ、私、学校がしんどかったんだ!」と気づくようになりました。

そして、それが「勉強ができたことが理由だったのでは?」と気づいたのはごく最近のこと。

振り返ると、あの頃(今でも?)、勉強ができる子どもたちが抱える悩みが理解されにくい現実があったのではないでしょうか。

私は勉強だけでなく、図画工作や家庭科なども器用にこなす方(体育だけは人並みでした…笑)だったので、

「あさちょこちゃんって何でもできるから〜」
「優等生タイプだよね〜」

とよく言われていたのですが、これを言われるたびに、実は微妙に傷ついていました。

「あなたは私たちとは別」と言われているような、母の「自慢してはいけない」の教えに背いてしまっているような…、なんだか悲しい気持ちで全然嬉しくないんです。

私に限らず、勉強ができると、周囲からは「幸せだ」と思われがちですが、実際にはそのことが、自分にとって居心地の悪さや孤独を生んでいることもある気がします。

そして、そのしんどさは、世の中の多くの人々には理解されにくい。

実際、私の両親も、先生たちも、私がそんなしんどさを抱えているなんて気づいてもいなかったと思います(私だって気づいていなかったのだから、当然かもしれません)。

他の子どもたちが理解するのを待つだけの授業時間も、もっと有意義に使えたら、もっと新しい学びでワクワクする時間に変えられたら、どんなによかっただろう、とつい思ってしまいます。

「勉強が人よりできたからしんどかった」なんて、自慢のようで、ごく最近まで人に話すこともできませんでした。でも今、この文章を書きながら、当時の小さいあさちょこちゃんを思い、なんだか涙ぐんでしまうくらいにはしんどかったのです。

息子の小学校入学

今年の春、私の息子が小学校に入学します。

入学準備に伴い私の小学校への「重たい気持ち」が再燃し、あまりに気が重かったので、ランドセルの注文も1月に入ってからになりました。

やっと届いたランドセルを楽しそうに背負ってみたりしている息子の姿を見ると、微笑ましくもあり、複雑な気持ちにもなります。

既に小学校に入学した友だちから「授業がつまらない」と聞いて、息子は少し心配しているようで、その表情を見ると、自分の小学校時代の記憶がよみがえり、息子も似たような体験をするのではないかという不安でいっぱいになります。

でも、息子は息子。

私と彼は違う人間で、彼には彼なりの世界が広がっているんです。時代も違うし、人間も違う。彼が学校での新しい出会いや経験をどのように楽しむのか、まずは見守るしかない。そして、もし息子が悩んだり困ったりすることがあれば、私の経験を基に少しでも力になれたらと思っています。

それに、決して明るいものではない私の小学校時代の思い出だって、今の私を形作る一部であることは間違いないのです。

息子の小学校生活を見守る中で、私もまた、自分自身の過去と向き合い、新しい気づきを得ることができるのかもしれません…っていうか、そうするしかないよね?!

それでもしんどかったら、オルタナティブスクールへの転校なども考えたらいいのかなと思っています。そのためには、私がお金を稼げるようにならないとな!!…え、結論そこなのか??笑

とにかく、自分と息子の気持ちに丁寧に向き合うための工夫や環境調整はこれからも続けていきたいと思います。

あなたの今日の1日にも、ちょっとした幸せや気づきがありますように!


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