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ボクシング性別騒動|スポーツにおける平等とは?

パリオリンピック。
ボクシング女子66キロ級2回戦。

イマネ・ケリフ(アルジェリア)対
アンジェラ・カリニ(イタリア)

のゲームは、試合前から注目されていた。

これはイマネ・ケリフ選手が、
XY染色体を持つ(遺伝的に男性であるとみなされた)選手でありながら、女子選手であるアンジェラ・カリニ選手と試合をすることになったから。

試合前から
「どうすんのこれ?」
と大騒ぎだった。

試合はイマネ・ケリフ選手の勝利。
圧勝と呼べる試合だった。
アンジェラ・カリニ選手は開始46秒で棄権

アンジェラ・カリニ選手の棄権の瞬間が映された動画は、

『The moment Olympics died.』
(オリンピックが死んだ瞬間)

と題されてXに投稿され、
世界中に拡散されて話題になった。

私は主に日本語の投稿を読んでいるが、
この試合への反響の数は尋常ではなかった。

その内容は主に、

  • 勝利したイマネ・ケリフ選手への誹謗中傷

  • イマネ・ケリフ選手を女子競技に出場させたIOCへの批判

  • トランスジェンダーを女子に含んではいけない」「LGBTの権利拡大は偽善である」といった思想の展開

で、とんでもない罵詈雑言が並んでいる。

まず、現時点で多く見受けられるのが、
「イマネ・ケリフ選手が元男性のトランスジェンダーである」という誤解
これは試合前から広まっていた誤解だ。

この誤解を前提に、
元男性のトランスジェンダーを女子競技に入れるな
という主張がさかんになされ、それを基に、
トランスジェンダーの権利拡大に対する嫌悪感を露骨に示す投稿が多くなされている。

まず、
イマネ・ケリフ選手は元男性のトランスジェンダーではない
女性として生まれた女性だ。

イマネ・ケリフ選手は性分化疾患のため、
「女性の身体的特徴を持つ・あるいは持たない」
「男性の身体的特徴を持つ・あるいは持たない」
という症状を持つ。
(イマネ・ケリフ選手の詳しい症状は知らない)。

X上でさんざん取り沙汰されている、
「イマネ・ケリフ選手が不合格になった性別検査
というのは、
昨年の世界選手権で初めて実施されたもの。
これによりイマネ・ケリフ選手はXY染色体を持つと診断され、その世界選手権には出場できなかった。

しかし、この検査は世界選手権だけに適応されるので、
オリンピックには出場できた。

という経緯である。

だからこの論議には、
少なくとも直接的にはトランスジェンダーをめぐる議論は関係ない

これほどまでに、
イマネ・ケリフ選手=トランスジェンダー
という誤解が広まり、
「トランス叩き」とも呼べる言論が盛んになされているのは、

誰かが(うっかり、あるいはわざと)誤解を広め、
もともとトランスジェンダーの権利拡大に反対する人々が、
便乗してトランス叩きをしているためとしか思えないのだが、

そもそも最近は、トランスジェンダーの権利問題に関連して、
性別を決めるものは何か?
という議論が盛んになされているので、

それと関連づいていることを考えれば、
問題の本質には似通った部分があるかもしれない。

この「性別を決めるものは何か?」という問題は、
スポーツ以外でも女子トイレや風呂の問題にも関連するし、
とてもセンシティブなので、ここでは議論しない。

今回は
「スポーツにおける平等性は、どこで担保されるか?」
という話をしたい。

まず、今回の問題。

  • 世界選手権では独自の「性別検査」に基づいて出場選手を選別した。

  • オリンピックではパスポートに基づいて選別した。(IOC声明より)

という二つの事情により発生した。

とりあえず、
イマネ・ケリフ選手は大会のルールに従って出場したので、
たとえ試合が「不公平」に見えたとしても、
選手を批判するべきではない

もし批判の矛先を向けるとしたらIOC(主催)で、
世界選手権と同じ基準で選手を選別しなかったこと」
に対して批判することになるのだが、
「世界選手権は正しくて、IOCは間違っている」
と断言するとしたら、それは個人の主観に依拠した考えだ。

「誰を女子競技に出場させて、誰を排除するのか」
という基準は、今のところ大会側が決めることになっていて、
「性別検査」だったり「パスポート」だったりする。

個人的には、これは非常に悩ましい問題だ。

イマネ・ケリフ選手のような性別に論議のある選手の出場は、
出場機会を奪われる多くの女子選手にとっては不利益だが、
選手個人の権利を考えると、
先天的な疾患を理由に排除するのは、多くの大会の理念に反するだろう。

確かに、女性でありながらXY染色体を持ち、
男性ホルモン値も有意に高いのであれば、
多くの女子選手は「遺伝的特徴」から全く敵わない
彼女たちにとっては、状況はドーピングと同じだ。

それが「ズルい」と言えばそうだが、

なら巨人病の選手がバスケットボールに出場するのは「ズルい」のか?

という問題なら、
巨人病の選手の出場を禁止しようと考える人はあまりいないだろう。

それならば結局、線引きは、
「両者に勝てる機会があるか?」
「圧倒的な力の差がないか?」
という非常に曖昧な部分でしなければならない。

「ズルい」という状況はどこでも発生する。
今回は「性別」が問題になったが、
遺伝的な身体条件はどの選手も異なる。

それが、ただ背が高いとか低いとか、そういう問題ではなく、
圧倒的な差であることも、ままある。
例えば1960年代に活躍したフィリピンのスキー選手エーロ・マンティランタは、
遺伝子の変異で赤血球が一般の人より多く、
生まれつき持久力が非常に高かった。

「生まれる前にドーピングをしているのは良いのに、
後天的にドーピングするのはダメなの?」

と議論になるときに頻繁に名前を出される選手だが、
とりあえずエーロ・マンティランタオリンピックで二つ金メダルを取った
少なくともオリンピックでは、
「生まれる前にドーピングをしているのは良い」
という判断がなされていたわけだ。

今回のボクシングのイマネ・ケリフ選手に関しても、
エーロ・マンティランタと本質は同じだ。
イマネ・ケリフ選手が集中砲火を浴びているのは、
「性別」という、
スポーツ選手以外の人々も常に向き合わなければならない問題に絡んでいるためだろう。

今後はもしかしたら、
先天的にスポーツに有利になる遺伝子を持つデザイナーベイビーも現れるかもしれない。
そうなったら問題はもっと深刻だ。

もうそろそろ、
「生まれながらの体で戦う=平等」
という論理は通用しなくなるのかもしれない。

そもそもスポーツは不平等なものだから、
そういう不平等を受け入れるのか、
別の場所で平等性を担保する道を模索するのか。

個人的には、
今回の騒動がトランスヘイトに利用されることよりは、
今回の事件が、
「スポーツの平等はどこで担保するか?」
という問題を、多くのスポーツ関係者が考える機会になることを望む。



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