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眠れない夜に旅の話 石垣島PART2

西表島・由布島

この日から、友人と離れ、ひとりで離島を回ることにした。
ひとりで行く良いことといえば、計画通りじゃなくても、そもそも何も決めなくても、行きたい方へ行けばいいということ。
ゆっくり起きていいし、ターミナルについてから間に合うフェリーを探して、そこから行く島を決めてもいい。やっぱりやーめたってターミナルでアイスだけ食べて帰ってもいい。
旅行がたびたび疲れるのは、計画を立てて、計画通りに動こうとするからだ。周りの意見に合わせたり、みんなの行きたいところを順番に、なんていうのもなんだかんだ疲れる。(でもそれにもきっと、いいところはある)

その日は、水牛車に乗れる昼からのツアーに参加した。

ゆらりゆらりと歩く水牛

なんでも、水牛車で西表島から由布島という島に渡るという。
由布島はとてもとても小さな島で、40分程度で歩いて一周ができる。
わたしはその島についてすぐ、その島が気に入った。

見渡す限りの自然

わたしはこの自然の中を、右も左もわからないままただ走った。
なぜ走ったのかというと、途中で迷子になったからだった。
小さな島なのに、行きたいところへ全然辿り付かなかった。
見渡す限りの緑の中に蝶が舞っていて、風が吹くたび草木がわずかに音を立てた。
似たような道を何度も通り、やがて同じ看板を二度も三度も見てから、わたしは本当は行きたいところなんてなかったことに気づく。
気持ちのいい迷子だった。迷子になるためにここにいるんだなあと思った。

わたしが迷子になって何度も通った道

誰かにこの景色を、すごいよこの島!って無邪気に共有したくなかったといえば嘘で、むしろ誰かに言いたくて仕方なくて、ひとりが心地いいのに、独りなのは寂しくて、走り回っていたら海があった。
ひとりじゃ何もできない、けど、ひとりで見ても綺麗なものは綺麗なんだとそのとき知った。

黒島

翌日は波照間島に行くつもりだった。
しかし、昼の便が欠航で(波照間島行きの昼便はほとんど欠航になると後日聞いた)わたしはターミナルで次に来るフェリーに乗ろうと決めた。それが、黒島行きの船だった。

黒島をひとりで回るには自転車が必須!

ほとんど島民も見当たらず、観光客もほとんどおらず、空も海も長く続く一本道もぜんぶ独占しているような気分になり、ワーーーーッと叫びながら自転車で島をまあるく一周していく。
島の中には牛や、山羊がそこらじゅうに佇んでいたが、わたしのことを気にする様子もまるでなかった。

たどり着いたのは、伊古桟橋。

この桟橋にはちらほらと島の人がいて、わたしは教えてもらう。
海の中に見える黒い点がすべて海亀であること、たまにここでイカが釣れること、東京と違って時間の流れがゆっくりしていることを。
次の船の便まではかなりの時間があった。しかし暑い中自転車を漕ぎ続けていたのでへとへとであった。
だから手足を投げ出してこの桟橋で横になっていると、こう、東京にいた自分とここにいる自分が切り離されたものであるように感じられた。

桟橋の先には楽園があると言われても信じてしまえそうだった。
空の色を反射させてきらきらしている海に四方を囲まれ、ここにいたら満員電車で押し潰されている自分なんて遠い彼方に感じられた。
これだけ生活も文化も違えば見えてくるものも違うし、わたしがもしここで暮らしたら、今抱えているような問題はもう問題ではなくなるのかもしれない。ゆっくりと流れる時間の中で、べつの豊かなものを見つけて生きていけるのかもしれない。

自転車を返却しようとしたら、おっと、大きく伸びをする猫。

それからわたしは島で数少ない食堂へ向かった。

猫が案内してくれた食堂

沁みるほど美味しいとはこのことだった。ああもう、ぜんぶ、ぜんぶ、自由だなと思いながら、海を眺めてご飯を食べた。

窓の外は、海

本当は、こうすると本当に美味しいねって誰かに言いたかった。
でもきっと、誰かといたら同じ景色を見ても今とは違うものが見えていたと思う。
誰かといたら、こんなにご飯が沁みるほど美味しいと感じなかったかもしれない。
ひとりだったから。いいや、ひとりって言うのは人がいるとかいないとか、そう言うことじゃなかった。
わたしは東京にいるときから、誰といても、ひとりだなと思っていた。
誰といてもひとりだなと思ってしまうくらい悲しいことがあったから、わたしはここまでやってきて、こんなに海が美しくて、桟橋の向こうに楽園を見て、猫に案内された食堂で、こんなにご飯が美味しいのだ。

悲しいほどに綺麗な海を見て、わたしは帰りのフェリーに乗った。

食べるとき、一匹とひとりだった

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