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◆怖い体験 備忘録/第21話 壁から出た手

あれは、一度戻った実家で父と大喧嘩をして家を飛び出し、しばらく経った頃のことでした。

実を言うと、完全なる独り暮らしは初めてのこと。
寮生活は経験したことがありましたが、所詮若い子たちが寄せ集まって集団生活をする場所、寂しいと思ったことは一度もありません。むしろ、毎日が修学旅行みたいな。

対して、近隣に誰が住んでいるかもよくわからないアパート暮らしは、ほとんど他人の干渉がありません。
なので、慣れるまでには些か苦労しました。

何しろ霊感体質なので、無音とかが怖い。
知らない場所なので、いつどんなものが現れるか知れたものではありません。
でも、隣人のことを考えるとテレビや音楽を爆音でつけっぱなしにするわけにもいかないですよね。
実家は隣家の少ない一軒家でご近所にあまり気兼ねすることはなかったので、最初はそれが一番キツかった。
そんな中で、しょっちゅう部屋を訪れてくれる霊感ゼロの親友は、滅多に帰ってこない浮気癖の彼氏よりもはるかに心強い存在でありました。
また、不思議なことに彼女がいる時はほとんど金縛りにすらかからなかったのです。
聡明で美しく、ちょっと人とは違う感性を持った彼女の存在感の前では、オバケの類いも恐れをなしていたのかも知れません。
しかも彼女はわたしの部屋の合鍵を持っていて、ほとんど家族のように毎日うちへ遊びに来ていたのでした。

さて、そんな彼女も珍しく遊びに来ず、彼氏も出張でしばらく居なかったある夜のこと。
その日は夏も真っ盛りで、非常に寝苦しい熱帯夜でした。
わたしは浅い眠りの中で何度も寝返りを打ちながら、独りぼっちの寂しさをかみ殺していたように思います。
あれは、何時頃だったでしょうか。
寝たり起きたりを繰り返しているうちに、またいつもお馴染みの気配が頭の上の方からひたひたと迫ってくるのを感じました。
そう、金縛りです。

金縛りは気付くとなっているパターンと、「あ、来る」と思った時からじわじわ来るやつがあるのですが、この日は後者でした。
まぁ、いい加減に慣れ切ってはいるものの、何度かかっても良い気はしません。
それに、金縛り以外は何も起こらないパターンならまだいいのですが、様々な現象を引き起こすパターンの場合もあります。
これはまさに「蓋を開けてみるまでわからない」というやつで、始まってみなければどっちのタイプなのかは全く予想がつかないのでした。

アパートの部屋には、わたし一人。
何か起こるにしても、お手柔らかにして欲しいところです。
しかも、その日は何故か両腕を布団から出して、バンザイした手を頭の上で繋いだような変な恰好で寝ていたため、そのままの形で金縛りにかかってしまいました。

── あぁ、やだなあ。早く終わらないかなあ。

そんなことを、呑気に思った瞬間。
突然 ぐんっ と右手が何者かに引っ張られるような感覚が襲ってきたのです。

思わず叫びだしたくなるような衝動に襲われましたが、金縛りにかかっていたため、それもままなりません。
どうやらわたしを引っ張っているのは誰かの手のようで、手首あたりにはハッキリと感触がありました。
しかし抵抗しようにも、金縛りが解けなくては話になりません。
わたしは必死で体に力を入れ、もがこうとしました。
すると、身体が引き摺られて壁にぶつかりそうになる寸でのところで、やっと金縛りが解けたのです。

!!!!!!!
と、慌てて自分を引っ張っているものを見ると、壁から緑の手が2本出ていました。物凄い力です。
半狂乱で自分を掴んでいる方の手を叩きながら、わたしは「放せ!!!」と叫びました。

どれくらいの時間、その手と揉み合っていたでしょうか。
体感的には5分くらいには感じられたように思いますが、きっともっと短かったでしょうね。
ただ、最後は思い切り掴まれている手を振りほどき、相手の手をバチボコにしばき倒しました。寝たままの姿勢でしたけど。
ともあれ、わたしの手を放してしまった緑の手は、それで目標を失ったのか、壁の中へと消えていきました。
ホっとしたわたしは、そのまま気を失うように再び眠ってしまったのです。

次に目が覚めたのは、明け方の4時過ぎでした。
わたしは大幅に布団からはみ出て、まさに壁際まで引っ張られたその時のままに眠っていたようでした。
しかし、非常に生々しい手の感触はあったものの、一度寝てしまうと どこかで「あれは夢だったんじゃないか」という疑念も拭えません。
どっちにしても怖かったなぁ、と思いながら起き上がって、掴まれた自分の手を見た瞬間、わたしは思わず ぎょっとしました。

そこにははっきりと掴まれた痕を残す自分の手首と、何者かに引っ掻かれたような傷跡を残す手の甲があったのでした。

後にも先にも、自分の体に傷を残されるほど強い力で干渉された経験はあれだけだったと思います。
その後もわたしはそのアパートに1年ちょっと暮らしましたが、緑の手が出てきたのは、一度きりでした。
何だったんでしょうね?

実はあとで知れることなのですが、わたしが住んでいた隣の部屋には、同じ年くらいの女性が暮らしていました。
その方の部屋に訪ねてくる男性と何度か顔を合わせることがあったのですが、その方が、実はお寺のお坊さんであることが、父の葬儀の時に判明します。
今にして思うと、あの緑の手が出てきた壁の向こうは、お坊さんが通ってくる女性の部屋でした。
もしかすると、お坊さんにくっついてきた誰かだったのかも知れませんね。

手首の痕はほどなく消えましたが、手の甲に残された爪痕のような引っ掻き傷は、完璧に治るまでに10日以上はかかったと思います。
思った以上に治りの遅いその傷を見るたび、背筋にはゾクゾクとした寒気が走りました。
今思い出しても、あの時徹底的に抵抗しなければどうなっていたかと思うと、ちょっとした恐怖心がわいてきます。
もしかすると、壁の中に引き込まれていたのでしょうか…?

それでは、このたびはこの辺で。

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