見出し画像

イエスの教え、教会の教え、神父様の教え、【カトリック信者なんです 13】

私は幼児洗礼を受けて物心ついた時から、教会に通っていたカトリック信者です。

ですから、物事の善悪は教会で身についたといってもいいでしょう。

最近の
キリスト教から派生した宗派。
しきたりに厳しい組織。
などのニュース報道を目にすると心が苦しくなります。

かくいう私も、10代はそれはそれは厳しい体育会に所属しており、理不尽というもの。を味わい尽くした経験があります。

これを読んで当時の後輩たちが「あなたもしていたよ」といわれると、頭を下げるしかないのだが、実際のところは葛藤の中で苦しんでいた。

常に指導者、先輩から受ける仕打ちのようなものに疑問を抱くとともに、
自分ならどうする?と思い描いていました。

高校生の私には、そんな知恵が浮かぶわけもなく後輩には伝統を引き継ぐようにしていたかもしれません。
しかし、限界(閾値)はわかっていたようにも思うし逃げてもいいと思っていた。
もっというと、挫けそうになる者には心の中で「逃げろ!」と叫んでいましたね。

信頼できる同期。頼りになる先輩。お世話になった恩師。安心できる親。のところにね。
そういった場所を常に作っておく、ことも大事だと思う。

しかし、競技生活を続けていく以上
「平等、公平、平和、平穏、安らぎ」というところに身を置くことはできなかった。
競争なんだコレは。

ただ迷った時の判断は、
確実に信仰に委ねた。それはとても自然に。

判断基準はあくまでも通っていた教会にあった。
そこにいた大人たちが基準。
その大人たちが手をあわせるキリスト。
そして聖書、讃美歌。

そこには平和があった。とても居心地の良いところであった。

私は今更ながらに幼児洗礼を受けていて良かったと、お袋に感謝しています。

善悪の付け方、処し方は、イエス・キリストが教えてくれます。
とてもありがたいこと。

全ての人が洗礼を受けるべき、なんて思いはまったくもって、無いですが。
この世に生まれて、育っていく中で、何か指針を与えてくれる存在のようなものが必要だと思っています。
それは、若ければ若いほどいいと思います。
意識、無意識関係なく、その人に宿っていますから

⚫️東川哲也 official web site
http://asone-labo.com

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?