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明日からまた

なにかを書くのが久しぶりすぎて、noteの新規作成のボタンがどこにあるかすら覚えてなかった。
InstagramやらTwitterやらとごっちゃになって、自分のアカウントのURLをコピーしてしまった。なんじゃそりゃ。

「私は辛いほうが筆が乗るんだ」といっぱし(風)なことを嘯いたときもあったけど、どうやらそれは本当だったらしく、それならこの数ヶ月は私にとって総じて幸福だったんだろう。(継続が目標なのに!)

明日から私はもう一度社会人になる。
いや、本当は、たぶんもしかして、昨日からすでに社会人だけども。

この一年、就活をしているときもしていないときもバイトをしているときもしていないときも本当は少しだけ宙ぶらりんの気持ちだった。
特に気にしていないことのほうが多かったし、大手を振って人生の夏休みを謳歌していたと思うけどほんとは少しずつだけ気になっていた。
働いている友達と会うときはほんの少しだけ気が引けた。
「明日は月曜日だ……」
という会話に、うんうんと頷くも、わかるわかるみたいな顔をするも、私にとっては毎日が日曜日だった。
月曜日の辛さを知っているから余計に気が引けた。

行きたいところに行き、会いたい人に会った。
したいことをして、したくないこともした。
大学生活でできなかったことをいっぺんに取り返したみたいな贅沢な一年だった。

最早前の会社でのことは、短編としても長編としても語れるくらいに愚痴りまくって、私にとっては単なる笑い話になったけれど、久しぶりに会った友達に
「よく生き延びたねえ」
と言ってもらえるとなんだか泣きそうだった。
帰ってきて嬉しいと言ってもらえるともっと泣きそうだった。
別に全然大したことない辛さだったかもしれないし、本当はみんなそんな辛さを乗り越えてるのかもしれないけど、私はつらくて辞めて、でもそれでもよかったんだと認められるような気がした。
他の誰よりも自分が認めないと終わらないこの負の感情が終わりに近づいている。

また明日から新たな荒波が待っているんだと思う。
しんどいことはどこでもそれなりにあって、理不尽なこともどこでもそれなりにあって、どこにいたって社会はそれなりに砂漠なんだろう。

たぶん少し不安なんだと思う。
どんなところでも前よりはマシだとたくさんの人に言ってもらえるけど
そんな「前より」で働いていた私の常識が通用するんだろうか、とか
久しぶりに大勢の人と会うけどうまくやっていけるんだろうか、とか

二年前、電話越しに泣きじゃくる私の電話を昼だろうが夜だろうが平日だろうが土日だろうが切らないでいてくれた彼氏も、同じく社会人になる。
今すぐ会いに来てと泣いても、喚いても
気軽には来れない距離と時間に身を置くことになる。

私の一人暮らしの家まで急に来て、自由席だからいいよと何本も帰りの新幹線を見送ってくれた優しさはもう見られないかもしれない。

そんなことを考えた宙ぶらりん最後の日、出発の日彼は、当たり前のように何本も電車を見送った。
うっすら目に浮かんだ粒を見逃すことなく、ベンチで握った手を離すことはなかった。
大丈夫だよ、大丈夫だよ。
私のほうが先輩で、なにかと世話を焼いているような印象だけど根本で支えられているのはいつも私なのだ。

毎月実家に帰り毎月新幹線のホームで泣きじゃくっていた私はもういない。
でもまたたくさんしんどいだろうな。
またたくさん衝突するだろうな。
月曜日が憂鬱で金曜日がすごく楽しみだろうな。
でも、ちょっとだけ違うと思う。
2年前の4月よりちょっとだけ。

びびってるかびびってないかでいえば、そりゃもうびびっているのだけど。 
でも社会人になったらやりたいことリストもあるし!それをビシバシ埋めていかなくては。

1年前辞めた夜は、過去を休むために眠った。

今日は、未来を闘うために眠ろう。


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