「神様、私を幸せにしてください」~縁結びの神様に、願いが届いていない理由はコレでは?の巻。
出雲に降り立ち、その場所は、
「出雲【縁結び】空港」という名前
だという事を知った。
出雲は、徹底的に「縁結び」のマーケティングだった。
むしろ、私は清々しさを感じる。
人口の少ない、小さな県が、一丸となって
頑張っているように見えた。
確かに、出雲便は、
私達のような普通の観光客、そして
出雲大社に「縁結び祈願」のため、参拝しに来た風の
女性たちも見られた。
気持ちは非常に分かる。
パートナーが欲しいのは、自然な気持ちだと思うのだ。
しかし、
私が出雲大社を参拝して思った事、だ。
「神様、大変ですね・・・」
出雲大社に「縁結びのお願いに来ている」風の女子たちに、
マナーが全くなっていない人達がいた、からだ。
出雲大社は、年間250万人の参拝者が来る。
【今日のエッセイの辛口度:
ハバネロ5個
】
私が出雲の神様なら、
「そこ、鳥居くぐるところから、やり直し!!」と
言いたいところだ。
それが、本気でお願いする時の態度、なのかい?
私が神様なら、参拝者のマナーと本気度、を見る。
会社の面接と同じ、だろう。
「この子に、いい人を紹介したいだろうか?」
マナーがなってなくて、
態度が悪い女子に、なぜ、
「いい人を紹介しなければいけないのだろうか?」
①そもそも、出雲大社は、参拝方式が違う。
(二礼四拍手一礼)
②参道の真ん中は、神様が通る道なので、歩いてはいけない。
スマホをいじりながら、真ん中歩くなんて、論外。
③神社は、そもそも、お願いするところではなく
「感謝を伝える場所」である。
①も②もなってなくて、
堂々と参道の真ん中を歩いている女子たちがいた。
そんな基本も守らずに
「いい人と結婚させてくださーい♡」
「◎◎で、◎◎で~な人」とハイスペックな条件を
並べても、誰が聴くんだろうか。
誰が、応援したい、と思うだろうか。
どうも日本の神様は、
とっても「人間的」な
面があるようだ。
謙虚さもなく、
傲慢で、
ルールを守らない人の、女子の話、神様が聴くと思う?
例えるなら、大学入試の願書のようなものだ。
「◎◎大学に入りたいです」という願書の書き方が間違ってて
そもそも、願書が却下されているような状態。
つまり、
「審査のスタートラインにも立っていない」のが
君たち、ではないのだろうか。
幸せにしてほしい、だけではなくて、
【あなたは「誰かを幸せにしたい」という気持ちはあるのか】
私が出雲の神様なら、一次、二次、審査を設けたい。
私が「狛犬」の場所で、
クラブの黒服のように、入口でチェックしようじゃないか。
「まずは、基本ルールを守り」
「願書がちゃんと書けている女子」
だけを、本殿に通したい。
または、私が「狛犬」となり、
マナー違反の女子たち噛みついて、追っ払っても良い。
そして、私の人間観察力も必要なら、
「この子、いいですよ」の肩に、目印を貼っておこう。
【狛犬・イチオシ!】という目立つシールにしたい。
神様の負担を、減らしたいと思う私。
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