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『六畳、白紙、文字を摘む。』



「六畳、白紙、文字を摘む。」


白紙が私を部屋に閉じ込めた。
9時を少し過ぎた頃、私は起きて霞んだ目で真っ先にスマホを見つめる。大学の講義がちょうど始まった頃だろう、出席点のある授業だったが、焦ることはなかった。二度寝をしようか迷ったが、5分ほど天井を見つめた後でトイレへ向かった。 大学に入学したはいいが、正直やりたいこともないし、今更授業に出なくても別によかった。


私は、漫画家になりたかった。幼い頃に観たアニメはいつも私の手を引いて、現実から遠ざけてくれた。私が逃避した先の世界では、はちゃめちゃなことをして建物を爆破しても次の週には何事もなかったかのように生活していたし、超能力を使ったり空を飛んだりしていた。私にはそれがとんでもなくカッコよく羨ましく思えた。でも現実世界に生きている以上、そんな人知を超えたようなことはできないと悟り、「その世界を描く」ことを目指した。


しかし、いつからだろうか、その世界を作ることさえも出来ないのかもしれない、と思い始めたのは―。


用を足した後は、決まって⻭を磨く。 三分ほど磨いた後で、鬱屈とした気分を白い泡と一緒に吐き出して、4回うがいをした。口には気持ち悪さはなくなったが、胃や胸には相変わらず残っていた。 一仕事終えたようにまたベッドに倒れ込み、スマホを見る。 しかし、スマホに映し出される文字の羅列は全く頭には入らなかった。


「わたし、映画監督になりたい!」
大学で唯一できた友達のマルが、ある日唐突に言った。いつも前髪を上げて丸いおでこを出していたから、デコマル。それが短くなってマルだ。
私は、彼女がどうしてそんなことを言い出したのかわからず、言葉に詰まった。

「昨日さ、金曜ロードショーでやってたじゃん、あのー......インディジョーズ!みた?」
バカだと思った。
今まで一度たりともマルの口から映画のタイトルが出たことはなかったし、出たかと思えば間違えてるし、そんな彼女が映画を撮りたいなんて短絡的にも程がある。

「インディジョーンズでしょ」
「そうだっけ、そうだ、それだ!」
「それを観て映画撮りたいと思ったの?」
「うん!」

彼女の目はキラキラしていて、目を合わせるのも苦しいほどだった。 私は次第に腹が立ってきて、でも同時に彼女が羨ましくて、羨ましく思う自分にも腹が立って、目を背けた。

大学生、もうすぐ就職も控えてる、いままでろくに映画も観てきてないじゃん、 映画監督?その歳で?この大学で映画の技術学べないし、お金は?機材は?好きな映画なに?どんな映画が撮りたいの?バカじゃないの、なれるわけないじゃん、なんでそんな簡単に言えるの。
頭に血が上り、次第に視界がぼやけていき、ギイイイイインという鈍いノイズ音が頭の中を駆け巡った。

「無理でしょ、」

胃から胸を通り、喉を刺しながら出た言葉。 口から発せられて初めて、脳はそれを認識した。 私は瞬時に後悔し、そしてマルの方を見ることができなかった。でも、間違いなく、私の口から出た言葉だった。 その日、彼女と目を合わせることはなく、すぐに自宅に帰った。


そこから数日間大学には行っていない。
絶対にマルに会うだろうし、何より、連絡もきていなかった。
今日も行くことはない。



寝ているだけでもお腹は空く。 何かないかと冷蔵庫を覗くが、入っているのはマヨネーズや缶チューハイ、後は天かす、⻘のり、チーズ。先月やったたこ焼きパーティの残りだ。きっと使うこ となく捨てるんだろうな、などと思いつつ冷蔵庫を閉める。
財布の中身と口座残高に相談をし、コンビニで適当に見繕うことにしようと服を着替えた。


財布を持ち、外に出ようと玄関へ向かうと、なんだか頭がふわっとする感覚があった。立ちくらみかと思い、目を閉じて立ち止まる。しばらくしてその感覚が収まったところでもう一歩足を進めるがさらにふわふわとした感覚になった。 壁に手をつき、霞んだ目でドアの方を見る。
すると、見慣れたはずのドアの隙間部分にはビッシリと紙が張り付いていた。
誰かがこの家の中に入って貼り付けたのだろうか。しかし、オートロックの玄関で私が住んでいるのは 6 階。施錠は徹底しているし、ドアチェーンまでかけているため入り込むことは考えにくかった。それなら風で張り付いているのかとも思ったが、それにしても大量の、しかも紙だけが張り付くのはおかしい。
半ば倒れ込むような形で床に膝をつく。するとドアの前に一通の封筒があることに気がついた。手紙を入れるような洋形封筒で、驚くほど真っ白だった。
郵便物は決まって共同玄関のポストに入っている。部屋の玄関の、しかもドアの前、靴が置いてある場所に置かれている封筒の中には必ず何かの手がかりがあるはずだと思い、這いつくばりながら少しずつ封筒の元に向かった。
進むたびに頭に走るズキズキとした痛み。腕を伸ばし、指の先で少しずつ手繰り寄せ封筒を開ける。
中には便箋。
広げるとそこには何も書かれていなかった。真 っ白な封筒に白紙の便箋。 すると次第に頭の痛みは引いていき、頭は楽になった。 見つめれば見つめるほど頭は軽くなり、気づいた頃には30 分ほどその便箋に吸い込まれるように夢中になって見ていた。
そうだ、そういえばコンビニに行くんだった、と思い、鍵をあけチェーンを外し ドアノブに手を掛ける。いつものようにドアを押すが一向に開く気配がなかった。
紙が原因なのだろうと思い、剥がそうとするがまったく剥がれない。
それは子供の頃タンスに貼り付けた大好きなキャラクターのシールを思い出させた。安っぽい薄茶色のタンスに貼られたキャラクター。大きな目をしていて両手を上にあげている。⻩色い髪をしていて小学生の時によく見ていたはずなのに、なぜか名前が思い出せない。主人公の名前も、漫画のタイトルも。あんなに好きだったはずなのに思い出せなかった。
家の前のコンビニの名前は...わたしが今手に持っているものの名前は...。 イメージは思い浮かぶのに名前が頭からすっぽり抜け落ちていた。 今この状況を言い表す言葉も見つからない。混乱していたがそれをどう表現すればいいのかわからず、わたしの頭からはほとんどの言葉が消えていた。


外にも出れず、言葉を失ってしまった私はすぐに部屋に戻った。 何が起こっているのかわからず、部屋を見渡す。部屋の中に置かれている全てが 思い出せない。
わたしはふと手に持っている手紙を見て、ここに言葉を書くことにした。

ここに言葉を書かないといけないと思った。

わたしがやらないといけないことは、マルに吐いた言葉を思い出して彼女への想いを言葉にすることだった。


わたしは、部屋中にある本や漫画を引っ張り出し言葉を探し出した。
本からは字がパラパラとこぼれ落ちた。
しかし、字の断片だけを見ても思い出せなかった。そのため、字が崩れないように漫画をゆっくりと取り出し、絵と少し崩れた字、そしてほんの少しの記憶で言葉を少しずつ思い出していった。 ピンセットで少しずつ文字を直していく。

ん、が、い、コ、少、ル、命、声、本当、を、強い、だ、必ず、子供、ひどい、 一人、わかった、まずい、コントロール、手間、今度、喜び、弱気、わかってる、 大丈夫、ケンカ、言葉、...。

思い出した言葉をゆっくりと紙に書いていく。 そしてそれは次第に自分の言葉になっていった。 久しぶりに本棚から出した漫画は、ホコリをかぶっていた。
あの日、わたしが夢中になって読んでいた漫画は、今でもわたしの目の中に鮮烈に飛び込み、心を揺さぶった。
そうだ、あの時わたしが漫画家になりたいと思ったのは、この漫画を読んだからだ。この漫画を読んで、アニメを観て、この世界を描きたいと思ったんだ。 マルが映画監督になりたいと言ったことも、わたしが漫画家になりたいと思ったことも、同じだったんだ。
わたしは、「なりたい」とだけ言うばっかりで何もしてこなかったじゃないか。 マルは今から始めたって、きっとわたしより先をいく。今だって、大学の講義に出席して、映画の題材になるようなテーマを探しているかもしれない。 わたしは、マルへの思いや自分が感じている悔しさを全て便箋に書き記した。
まだ、覚えたての言葉で、おぼつかない手つきで文字を書いた。


便箋いっぱいに想いを書き、封筒に入れ、糊をつける。
玄関に向かうと、さっきまで貼り付いていた紙は全てきれいに剥がれ落ちていた。



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