ママ、ぼく生まれたよ‼️‼️
「ママ、ぼくの赤ちゃんの時の写真ある?」
次男くんに聞かれて
私は焦りました。
そういえば
次男くんの新生児のころの
写真て、見たことがない。
てゆうか
撮ったっけ…… ←最悪(((((゜゜;)
旦那さまと必死に探して
無事に見つかった……というか
パソコンの中にデータを入れたまま
一度も出してなかったようでした😭
次男くんが生まれる前
私は切迫早産で
4ヶ月近くを
病院のベッドで過ごしました。
無事に生まれて
ホッとしたのもつかの間
次男くんは腸の感染症で
血便が続き
生後二ヶ月まで退院できず
私もそのまま、
2ヶ月付き添い入院。
病院で点滴をしている
赤ちゃんの頃の
次男くんの写真を見て
このころはアルバムを作る余裕も
なかったことを
やっと、思い出しました。
次男くんを家に連れて帰れたときは
本当に嬉しかったけれど
究極の仕事人間だった私は
早く仕事に復帰したくて
たまりませんでした。
早く復帰しなければ
自分の居場所が
どんどんなくなるような
気がしていたからです。
今思うと次男くんは
私を引き留めてくれてたんだと思います。
自分の側にいて欲しいからじゃなく、
何かに追われて生きている私に
何かを伝えたくて。
あの頃は
どうして、気づけなかったんだろう。
妊娠中、
思うように動けない体がもどかしくて
私は思ってしまったんです。
「早く生まれてしまえばいいのに」
人手不足の病棟では
妊婦はただの厄介者でした。
「どうせ動けないんだから休んでれば!」
そんな台詞も、普通に受けました。
だから妊婦の多くは、
重い患者さまの介助も
夜勤も
みんなと同じようにしていて
流産や切迫は当たり前でした。
妊娠6ヶ月で
陣痛が来た私は
トイレもシャワーも禁止
食事も寝たままの
絶対安静となりました。
私が望んだから。
早く生まれてしまえばいいのにと。
次男くんの前に
一人、赤ちゃんを失っていた私は
毎日泣きながら謝りました。
ごめんね、ごめんね、
まだ生まれちゃダメなんだ
今生まれても、生きられないの。
祈って 祈って
やっと無事に生まれた次男くん。
あの時気づけなかった、
たくさんのこと。
次男くんの必死の声。
たくさんの人たちの優しさ。
私は支えられて生きていたこと。
感謝すること。
走り続けた私が
色んなことに気づくのは
それからさらに5年後のこと……。
今ではすっかり体も大きくなって
元気すぎるくらい元気な次男くん。
以前、お空に帰した子のことを
書いたことがあるのですが
あの子と次男くんは
同じ魂なんじゃないかなって
思います。
生まれた直後の
次男くんの
この、満足そうな表情を見たら
ママ、
戻ってきたよ、生まれたよ‼️‼️
そんな声が聞こえてくるように思えて
ならないんです(*^^*)
生まれることは、喜びである。
たとえ
その先にどんな辛いことが待っていたとしても
人は
こんなにも
希望に満ちた顔で生まれてくる……。
読んでくださって
ありがとうございました‼️‼️
命の時間 -優-|アルなか🎵 @arunaka39 #note https://note.com/arunaka39/n/ncd99b26e7540
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