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おばあちゃんの100年間。

大好きなおばあちゃんが
天国に旅立ちました。

100歳。老衰です。



おばあちゃんが生まれたのは
大正8年。

農家の娘として生まれ
小学校を出たあとは
実家の畑を手伝っていました。

結婚は三回しましたが
一人目の旦那は暴力が酷く、離婚。

その後、朝鮮に渡って働き、
そこで出会った人と結婚し
子供を生みましたが
(私の父の姉)

子供が生まれてすぐに、
旦那さんは病死。

生活していくのが困難で
なんとか日本の実家に帰ろうと

船に乗って
九州の佐世保に辿り着きます。



しかしそこでマラリアに感染し
熱にうなされながら
赤ん坊を抱いて旅を続けたそうです。

九州から、北海道まで……。

その間、子供のオムツも
お金も、すべて盗まれてしまい

途方にくれていると、
回りの人達が布を出し合い、
オムツを縫ってくれたことも
あったそうです。


なんとか北海道までたどり着いた
おばあちゃんは倒れ、
病院に運ばれて
一命を取り留めます。


その病院で出会ったのが
最後の旦那となる、
私のおじいちゃんだったそう。



私のおじいちゃんも
お金遣いが荒く
おばあちゃんはずっと苦労したようですが

おじいちゃんは
私が四歳くらいのときに
早くに亡くなってしまったので

その後は
一人で朝から晩まで
畑仕事をし、野菜を売って
生活していました。


82歳の時から
私の実家で同居するようになり

96歳で転んで骨折するまで、
畑仕事は続け、

その他にも歌や踊り、
友達との温泉めぐり。

知らない人にも声をかけて
すぐ仲良くなる性格だったので
いつのまにか友達が増え、
最後は大型バスを1台貸しきって
みんなで温泉旅行をしたとか(笑)




足を悪くしてから
ずっと入院していたけれど、
とっても元気で
ご飯も全部、自分で食べていました。


おばあちゃんのいる病院は
車で片道三時間くらい。

ちょっと遠くて大変でしたが、
私が会いに行くと

「遠くからよく来たねぇ」

と、ニコニコ(*^^*)

「アルちゃん、看護学校どうだい?」
「おばあちゃん、私もう39歳だよ笑」

少し認知症はありましたが、
私の名前を忘れたことは
一度もありませんでした(*^^*)


今回の感染症流行で
家族の面会が出来なくなってから
急に弱ってしまい

ご飯を食べれなくなって
一ヶ月。

100年も頑張ったのに
一番苦しいときに
側にいてあげられず

一人で逝かせてしまったことが
可哀想で、可哀想で

残念でなりません。



感染症のせいにしても仕方ないと
分かっていても……。



最後のお別れの時
おばあちゃんの顔は
少し変わったように見えました。


悲しみも苦しみもない
喜び、ともまた違うような  ……、

すべての感情を手放し
ただ、ただ、
優しく、穏やかな顔をしていました。


いい人生だったか
そうでなかったかなんて
関係ないんだ。

生ききった。

それだけで
なんて素晴らしいことなんだろう。





おばあちゃんはもう動かないし
しゃべらない。

だけど

そんな穏やかで優しい表情は
私たちの悲しみを
どこまでもどこまでも
癒してくれるような気がしました。




おばあちゃんは神さまになったんだ。

私は、そう思いました。


お疲れさま、ゆっくり休んでね。

もう、それ以上の言葉はありません。



おばあちゃん、おやすみなさい。
やっと、ゆっくり、眠れるね。

ありがとう。

愛してくれて、ありがとう。大好きだよ。

サポートいただいたお金は 私が応援したい方のサポートへと 巡らせていきたいと思います! 幸せがみんなに巡りますように(*^^*)