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地味だけど爆発力のある「プレイボール」という漫画

私は、ちばあきお先生の「プレイボール」という漫画が好きだ。出会ったのは小学生の頃だったが、今でも定期的に読み返したくなる時が多々ある。

しかし何故ここまでハマってしまったのかについて、今まであまり気にしていなかったので、この機会にちょっと考えてみようと思い立った。

この漫画はタイトルからも想像できる通り野球漫画なのだが、小学生が好きそうな派手な必殺技とかは存在しない。描かれるのは、ただひたすら主人公が練習に練習を重ねるシーンだ。

その姿を見た周りのチームメイトもそれに感化されて練習するようになり、徐々にチームも強くなっていき、1回戦敗退の常連だった高校が、甲子園出場をかけて戦うレベルの高校にまで成長していく。

文字だけで見ると地味な漫画なのだけれど、小学生の私が未だに読み返したくなるほどハマってしまったのは、この漫画の「溜め」と、その「溜め」が引き起こす「爆発」に魅了されたからだろうと思う。

「プレイボール」の「溜め」とは、主人公たちがひたすら練習をするシーンだ。そして、その成果を試合で「爆発」させる。だがしかし、そう簡単に「爆発」はさせない。「プレイボール」は試合中でも容赦なく「溜め」る。

いくら練習を重ねたところで、本番でそう上手くいくとは限らない。試合中でもチームは苦しめられ、点差を付けられ、満身創痍になる。しかし決して諦めずに回を重ねていく。徐々に徐々に、だが確実に、相手チームに追いついていく。

そして、ついに逆転する時がやってくる。
ここで「溜め」が一気に「爆発」する!

この「爆発」によってもたらされた爽快感が、私を今でも魅了し続けるのだ。

「爆発」した後はその勢いのままその試合に勝つのかと言えば、そうとも限らない。普通に負けてしまう試合もある。だがしかし、その「負け」も、次の「爆発」への「溜め」になるので、また次の「爆発」を求めて読み進めてしまうのだ。

唯一残念なのは、最後の「爆発」を味わうことが出来なかったことだ。今となっては受け入れられたが、当時読んだ小学生のころ、父親から「作者は既にこの世を去っており、もう続編を読む事は出来ない」という事実を伝えられてショックを受けたことを覚えている。

ちなみに「プレイボール2」という続編についてだが、私も連載開始当初は期待して楽しく読んでいたのだが、途中で脱落してしまった。

当時は、私の中の「プレイボール」像とコージィ城倉先生の「プレイボール」像が乖離してしまったからだと思っていたが、今回振り返ってみて、もしかしたらこの「溜め」と「爆発」が関係しているかもしれないと思い始めた。

機会があれば、もう一度「プレイボール2」を読んでみて検証してみたいと思う。


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