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ほんの数日前、大学時代の恩師のオンラインセミナー「よろめき歩き学」が始まりました。YOMI大学のひとつの教室にあたるのですが、興味のある方は、ぜひググってみてください。

さて、初回にあたる前回は参加者の初顔合わせでもありましたので、主催者と講師の趣旨説明とズーム参加者の自己紹介と「よろめき歩き」具合の語り合いがありました。

みなさん、今はそれぞれ第一線で活躍しているような人ばかりですが、いざ話しだしてみると、みなさん、それぞれよろめいていて、実に壮絶な経験をしていらっしゃる方も中にはいらっしゃいました。

かくいうわたしも転職は5回、今でも知人から、「しばやんっていったいなにもの?」とたまにいわれるくらいですが、ある程度、長期間、働いた組織についていえば、本当に運がよくそれぞれ貴重な経験をさせていただきました。

ここでは、わたしの「よろめき歩き」具合についてはあえて語りませんが、3つの職場で共通なおもしろい現象についてお話します。

わたしのファーストキャリアは、株式会社三祐コンサルタンツという建設コンサルタント会社(総合)でした。この会社は、もともと第二次世界大戦後、日本初の地域総合開発事業といわれた愛知用水をつくった農林省(現農林水産省)の愛知用水公団に出向していた技師たちが母体となってつくられました。

日本中から集められた農林省の精鋭の技術者たちが、世界開発銀行の借款のよるこの5年間の工事が終わる際に、元の職場に戻ってもポストがないという相談をうけた、愛知用水の発起人の篤農家の久野庄太郎が、愛知用水公団の技師の何割かを引き取って1962年に会社をつくったのです。

このような経緯がありますので、最初から社長である久野庄太郎を、おやじとか、おとうさんというような雰囲気があったそうです。典型的な中小企業の始まりですね。

ところが、わたしが入社した約30年前の時点でさえ、社長から役職者をふくめて平社員まで、すべて「さんづけ」でよびあっていました。

さすがに社長は社長ですが、役員の方については、社員だけの場では名前にさんづけのことが多かったと思います。少なくとも、名前なしで部長とか課長などの職位名で社員をよぶ風潮はまったくありませんでした。

これは、おそらく開発コンサルタントという専門家集団ということも理由なのかもしれません。国際協力機構(JICA)などから受注する政府開発援助のコンサルティング業務自体が、プロジェクト単位なので、業務ごとに社内外からチームメンバーがその都度、編成されます。

したがって社内の部とか課のグループに属していても、その中の上下関係で仕事することは、ほとんどありません。つまり、開発コンサルタントはそれぞれ一つの分野の専門家としてクライアントに対峙しているため、年齢に関係なく一緒に同じ課題(プロジェクト)に取り組む仲間という意識があるのだと思います。

次に、地元にもどって二番目に勤めた会社は、マリングッズの専門商社でした。わたしは創業20周年過ぎぐらいに参加しましたが、社長が一人で興した会社で、社長と弟さんの専務のふたりが経営にあたっていました。社員は経営者をふくめて全員でちょうど30名だったと思います。

社長と専務以外の社員は、すべて横並びの組織で、この会社もまたさんづけでよびあう風潮でした。正確にいうと、社長は社長とよび、専務は下の名前をさん付けで呼んでいました。これまた、社員の顔がみえる風通しのよい組織でした。

その次に働いた組織は、国際協力NGOのアジア保健研修所という財団法人です。合計8名の有給職員で仕事をまわしていましたが、みなさん、想像されるように、ここもまた、事務局長以下、職員は、すべてさんづけでよびあう職場でした。

なぜ、さんづけでよいのかについて、直接、事務局長に質問したことがあります。その答えがとてもふるっていました。どういう理由だと思いますか。

事務局長いわく、「もともとアジア保健研修所は、外科医の川原啓美先生がつくった組織で最初から関係者にお医者さんとか大学の先生とかが多い。なので、みんなに先生をつけなくてはならないので、それが煩わしいので、さんづけでいいことにした」とのこと。

実は、アジア保健研修所の同じ敷地に同じく川原先生が創立された愛知国際病院が隣接しているのですが、この病院のお医者さんがたまにアジア保健研修所に顔を出します。つまり、普段みかける白衣の方々は、ほぼ間違いなく「先生」ばかりなのです。

本当かしらと思いますが、事務局長は団体のかなり初期から働いてきた方なので、この理由は間違いないと思います。おそらく創立者の川原先生の意向もあったと思いますが、これまたすごい理由だなと思いました。

ただ、もう少し正確に言うと、川原啓美先生だけ、川原先生で、その他のアジア保健所の職員や愛知国際病院のお医者さんの先生方は基本的に、さんづけでよびあっています。

さて、上記の3つの会社や団体には、もう一つの共通点があります。それは、いずれも日本における業界やそのセクタートップの組織であるということです。あまり大きな声では言っていませんが、実はわたしはトップの組織でしか働いたことがありません。

いわゆる一部上場企業とか大企業の経験はありませんが、少なくとも、わたしにとって働いていて心地のよい組織は、上から下まですべて「さんづけ」でよびあうような人間関係がきずける可能性があるところでした。

確かに外部の組織の人に対しては、当然、職位を意識したやり取りをしてきましたが、少なくとも組織内部においては、さんづけでよびあうことのデメリットはなかったと思います。

しかも、この三つの組織とも、たまたまご縁があって働かせていただいただけで、結果として「さんづけ」でよかったというだけなのです。運がよかったとしかいいようがありません。

先ほど「きずける可能性がある」と書きましたが、これには、理由があります。おそらく既存の組織で、当たり前のように「さんづけ」が浸透しているところは少ないと思います。

特に、途中から加わる新入社員や中途採用者が、組織の文化を変えることは極めて難しいでしょう。しかし、わたしは、どんな人でも「さんづけ」でいいと思うし、仮に職位そのものに価値があるとしても、その中の人に対してきちんと人間として向き合う必要があると思っています。

まとめにはいります。わたしは、歩く仲間とか国際共創塾の活動を通じて、高校生からシニアの方にいたるまで、日々新しい出会いや旧知を温めています。

その中で意識していることのひとつは、いま目の前にいるこの方は、はたして自分たちの仲間としてさんづけの関係性をきずくことができるだろうかということです。

その人の肩書や立場より、なにを目指して、なにをがんばっているのか。いま現在の立ち位置よりも、向かおうとしている方向そのものにわたしは関心があります。

ところで、この考察には、師匠とか先生などをどうよぶのかということについてはふれていません。このことについては、わたしとその師匠や先生との関係性によりますとしかいいようがありません。

つまり師匠であっても、それまでの経緯でさんづけでつきあってきた人はさんづけだし、先生とよぶことが適切で、自分も先生とよんでつきあってきた方には先生といいます。

ただ、さんづけでよばせていただいている場合でも、心の中ではちゃんと師匠や先生としての敬意と尊敬をもっておつきあいさせていただいております。

以上、原則として「さんづけでいきましょう」というお話でした。

(この項 了)

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