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がむしゃらが何かも忘れた
どうも、ARUKASです:)
「情熱なしに生きるくらいなら死んだ方がマシだ」
この言葉を見るたび、見て見ぬふりをしてしまう自分がいます。何の情熱も持たずに生きている自分が、まるで死んだも同然のように感じさせられるから。
思えば、最後に何かをがむしゃらに取り組んだのはいつだろう。
高校時代の高跳びかな。
私が本気で、死ぬ気で、向き合ってきたもの。
時には周りが見えなくなり、自分が何をしたいのか分からなくなる時もありました。
毎日、早朝からグラウンドに向かい、目線と同じ高さのバーを何度も跳び越え、大きなマットに何度も背中を打ちつけてきました。
当時は、高跳びしか見えておらず、ただひたすら”どうすればもっと高く跳べるのか”だけを考えて365日24時間を過ごす。
テスト期間中に部活をさせてもらうためなら、大嫌いな勉強も全く苦じゃななく、ちゃんとした点数を取ってこそ高跳びの実力も認められるのだと自分を鼓舞していました。
文武両道ができている自覚はあまりなかったのですが、生徒代表で文武両道についてのスピーチを全校生徒の前でしたときは、熱が入りすぎて思わず涙がこぼれそうになりました。
それほどに高跳びが好きでした。
本当に、本当に、大好きでした。
悩みも不安も疲労も、全て充実のための貴重な材料。
高跳びで記録を出し、恩師に恩返しをするのが私の使命だと感じていたのでどこまでも頑張れたのかもしれません。
今思い返してみても、現在の自分と過去の自分が同じ人間であるようには到底思えないです。
今の私は、昼過ぎに目を覚まし、授業もなく、バイトもせず、自炊もせず、ただ液晶画面を見て一日を過ごすだけ。
「一生懸命」「がむしゃら」「頑張る」「努力」「成長」「目標」
この言葉たちは、私の辞書から消えたかもしれません。
努力ってどうやるんだっけ?がむしゃらってどんな感覚?成長ってするもんだっけ?
こんな感覚に落ちていく自分が情けない一方で、別にいいんじゃないとやや諦めている自分も。
どんな私も私であることには変わりないですが、理想をいうなら「情熱」を持って生きる人間でありたいです、もちろん。
冒頭の言葉は今の私にとってあまりに刺激的で、強烈な光を放っていますが、いつか、近い将来、まっすぐと受け入れられるような自分になっていたい。と願います。(願うだけじゃ何も変わらないのは当然)
ただ、今は心の中で静まり返っている炎をちゃんと受け入れることも大事だと感じます。
いつか盛大に燃え上がるときのために、ほんのわずかな炎を大切に大切に。
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