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私は私、あなたはあなたで生きてみるのはどう?

どうも、ARUKASです:)


みなさんが大事にしていることって何ですか?


自由でいること、約束を守ること、家庭を持つこと、情熱的でいること、環境を守ること、夏は何が何でも楽しむこと、頻繁に親に連絡すること、1日1話アニメを見ること。

自分にとって大事なこと=価値観です。

価値観の中身は抽象的なものから具体的なものまで、100人いれば100種類以上の「大事なこと」が存在します。

一人の人間が持つ価値観には、時間や環境、出会う人とともに形を変えるものあれば、変わらないものもあります。

そして、大多数に理解される価値観と、少数派の価値観もあります。


私が持つ価値観の一つに「自分の価値観を他人に強要しないこと、そして無理に受け入れることもしないこと」というものがあります。


『分かってもらいたい』『理解してほしい』
はたまた、『この人を理解してあげたい』『受け入れてあげたい』

こういった気持ちは、対人関係の中で多かれ少なかれ存在しますよね。


でも、正直そういう気持ちに支配されすぎると、だんだんと生き辛くなってきます。

自分の世界が狭くなり、他人中心の世界になるからです。

家族、恋人、親友。
どんなに心理的距離が近い相手でも、一歩引いてみれば「自分とは違う別の人間」であることを忘れてはいけません。

自分と似たような性格や価値観を持つ人間に出会うことはしばしばありますが、全く同じものを持つ人はきっといません。いや、絶対に。


私には、保育園からずっと仲の良い親友がいます。私たちの性格はそこまで似ていないけれど、対人関係でのイラつくポイントや感激するポイント、その時でた考えや感じ方がほとんど同じで、昔からアイコンタクトでよく意思疎通をしていました。

しかし、そんな私たちも当然異なる考えを持つ時があり、衝突することも何度かありました。

そのたびに、「なんで分かってくれやんの?」「それは絶対におかしい」と、自分の考えが常に正しく理解されて当然、その他の意見は間違っているとばかり思っていました。


よくある「愛とお金どちらが大事か」という哲学じみた討論(?)も、幾度となく繰り返した経験があります。

愛なかったら人生おもんないやろと主張する親友と、お金なかったらなんもできんやろと言い張る私。

どちらが正解でどちらが不正解という明確な答えは存在しませんが、当時幼い私たちはすごい剣幕で自分の根拠を主張しまくってました。もちろんらちはあきませんが(笑)


でも、今なら言えます。
「私はお金、あんたは愛。それでええんよ」


お互いに育った家庭も違えば、お金と愛に対する教えも捉え方ももちろん違う。だから、違う価値観を持つのは当たり前で、ごく自然なこと。

それだけのことです。


誰かを理解しようと努力することは人生において大事なことです。

大切な人であればあるほど、その努力を惜しまないでしょう。

しかし、自分が他人を100%理解できると思うことも含め、他人に自分の全てを理解してもらおうとする姿勢自体が、身勝手で傲慢なことだと私は思います。

無理な押し付けや受け入れは、自分と他人との線引きを無くしてしまい、自分にとっても相手にとっても心地良いものとは言えません。

他人と自分の線引きをちゃんと出来ている人ほど、多様な価値観を発見し、自分も相手も尊重することができると思います。



自分が大事にしていることを最も認めてあげるべきは”自分自身”です。

その人にとっての大事なことを最も尊重すべきなのは”その人自身”です。



私は私、あなたはあなたで生きてみるのはどう?


ARUKAS:)




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