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会社を辞めた訳┊︎統合失調症の妹との向き合い方

憧れの仕事に就いた日

私の就職活動は、5月に書類を送って
7月末には内定の連絡をいただきました。

専門学校から専門職へ、ということもあり
とにかくスムーズに終わりました。

テレビ番組をつくるお仕事です。

田舎民なら誰もが一度は思うであろう
東京に住みたい!という夢も叶いました。

普段見ていた番組の裏側を知り
これからこの番組を担っていくのか、と
わくわくした気持ちでいっぱいでした。

夜勤も多かったのですが、
全く苦ではありませんでした。

何より力になっていたのは
その当時付き合っていた今の夫が
勉強のためカナダへ留学していてたことです。

毎朝、通勤前に電話をしました。

その日食べたものや、季節のこと、
最近どんな勉強や仕事をしているのか。

早く会いたい、とか。

私が吐いたネガティブな言葉も
厳しい視点からポジティブな言葉に変えてくれる
夫の存在はとても大きなものでした。

ちょうどその頃、私の実家の方では
不穏な空気が流れ始めていたのです。


噛み合わない会話

お仕事がお休みの日、妹からの電話にて。

「大丈夫?騙されてない?」

私は何のことかさっぱり分からず
その時は「どうしたの?」と聞くことしか
出来ませんでした。

そのことをお母ちゃんに聞くと
「忙しいのにごめんね」とだけ。

なんだか嫌な予感がしました。

それから数日後、今度はLINEにて。

「神様が心配してるよ」
「全部天皇が悪いんだ」

意味のわからない文章が
何通も何通も来ました。

さすがにおかしいと思って
まずは妹に電話しました。

すると、はじめのうちは
いつものような穏やかな会話でしたが、
次第に声を荒げていきました。

「後鳥羽上皇のせいで!」
「神様が悪いって言ってんじゃん!」
「お母さんは偽物!」

何を言ってるのか、さっぱりわかりませんでした。

ちょうどその時、近くにお母ちゃんがいて
電話を代わってくれました。

この頃の妹は、素直に電話も代わってくれるし
声を荒らげて主張してくる以外は
今日何食べたか、どこに出掛けたか、
聞いたら普通に会話ができる状況でした。

────今は、ほとんど会話ができませんが。


統合失調症って言うんだって

この時、初めて聞かされました。

数ヶ月前に病院を受診してそう告げられたこと、
数日に1回は声を荒らげて暴れること、
フラフラっと出掛けて、知り合いのお家に
迷惑をかけてしまっていたこと。

私が憧れの会社に就職して
社会人としての一歩を踏み出したタイミングで
伝えることを躊躇っていたようでした。

「すぐ教えてくれたら良かったのに!」

なんとも言えない気持ちで、
そうお母ちゃんに強く言ってしまったことを
今更ながら後悔しています。

統合失調症とは何か、
この時の私は全く知りませんでした。

約100人に1人が発症する身近な病気ということも
妄想や妄言、幻覚に悩まされることも、
調べてみて初めて知ることばかりでした。

「ごめんね…」

お母ちゃんが泣くのは、とても久しぶりでした。

離婚した時、どちらに着いていくかの
話し合いをした時以来でした。

「どうしたら良いかわからんくて…」

お母ちゃんの弱音を聞いたのは、
この時が初めてでした。


地元に帰る決心

衝撃的な話を聞かされて数日間、
私はどうすべきか考えました。

せっかく就いた憧れの仕事は
お給料もそこそこ良くて仕送りできる。

ただ、実家に帰るには飛行機合わせて
片道3時間以上、数万円。

夫(当時は彼氏)にも相談しました。

すると、いつもなら厳しい言葉をくれるのに
そのときはとにかく優しく

「まだ22歳だし、仕事ならいくらでもあるよ」
「心配であれば帰ったら良いんじゃないかな」

そう言ってくれたのです。

夫が留学する前…学生の頃に、私たちは
"東京で一緒に働く"と約束していました。

頭の良かった夫は、平凡な私に
勉強を教えてくれたり
面接の練習に付き合ってくれたり
たくさん対策してくれました。

そのおかげで叶った"東京"だったのに
「帰ったら良いんじゃないかな」と言ったのです。

その言葉の後押しがあり
私は、家族を選びました。

会社の人事の方との面談では
辞めない方向での提案もいただきました。

1年目、もう少ししたら有給休暇も出るし、
介護休暇も取得出来るよ、と
親身に相談に乗ってくれました。

ただ、東京と九州、
やっぱり距離が遠かったのです。

私は泣きながら、辞めます、と伝えました。

そしてその数週間後、住んでた家も解約し
実家に戻ることになりました。


ここまで読んでくださり
ありがとうございます。

こひなた🌸

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