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「一人」って大事だったんだ

元々は完全に外向きで、人に合わせること、不快な思いを与えてしまわないようにこの場での普通はどれだ?って、いい意味でも悪い意味でも目立たず無難にを探して生きてきた。

なんか人と違うって感じてて人間関係が相当苦手だったから、対応を間違えないように合わすのに必死で神経すり減らしまくって毎日死にそうだったけど、一人で行動する勇気がなかったから、恐怖に耐えながら人と一緒にいることにすごいエネルギーを注いで本当に頑張ってた。

それがあるきっかけでお一人様ができるようになると、時間もオーダーも気を使わずに自由に動き選べるのが嬉しくて楽しくてたまらなくなってきて、そうしてるうちに強迫性障害が出てきたのもあって、自然に人と関わるのが無理になってきてボッチが始まった。

でもいくら、もう一人で行動するのがやめられないとは言っても、本当に縁を切ってしまって良かったのか?という思いが数年間は頭をよぎるくらい、自信はなかった。

でも気づくと、自分嫌いがなくなるくらいのタイミングから全く頭をよぎることがなくなってた。

人間関係を続けていたら、強迫性障害にこんなに集中して取り組めてなかったのは確実に分かるので、絶対に今のこの状態のところまで来れてなかっただろうし、元々の自分を考えると、最悪スタート地点から今になっても何も進めてなかったかもしれないので、それを思うと恐ろしさを感じるのは確か。

なんだけど、一人っていうことには本当にこれで良いのか?っていう漠然としたものもあったので、今回ポンポンっと入ってきた情報でスッキリできた。

一つは、いわゆる見えない世界と繋がれる系の方のお話で、元々人間が地球に生まれてくる目的の中に人間関係は含まれていなかったというのがあって、予定外にみんな人間関係で時間を取られ過ぎてしまっていて、そのために本来の目的を忘れてしまったり、自分の好き嫌いさえ見失ってしまって、何にもチャレンジできなかったり苦手なはずなのに頑張ってしまったり、ちょっとあまりにも人間関係が人生のメインになり過ぎたまま自分を生きれずに終わってしまうケースが多過ぎるので、見ていて本当にもったいないということだった。

それと、人が死を前にしたとき何を後悔するか?ということを何千人もの方を看取られた先生が…という記事で、

他人がどう思うか気にしすぎなければよかった。

他人の期待に沿うための人生ではなく、自分が思い描く人生を歩めばよかった。

もっと自分のために生きればよかった。

そんなに一生懸命働かなくてよかった。

もっと自分の感情を表に出すべきだった。

もっと自分を幸せにしてあげるべきだった。

他人の意見をあまり気にしなくてよかった。

などなど、ほとんどの人が世間体を気にして他人に期待されるように生きてきたことを悔やみ、稼ぎやキャリアより愛したり笑ったりが大切だったと気づき、子供やパートナーともっと一緒の時間を過ごすべきだったと後悔し、協調のために感情を押し殺してきたことは最も憤慨する後悔となり病にもつながるので、人間関係を損なう可能性はあっても自分の真実・気持ちを伝えることは大事で、周りの人にどう思われるか気にして人生を楽しめないまま終わりを迎えた後悔、他の人の考えや意見を気にし過ぎて自分に正直に生きれなかった後悔などを、ほとんどの人が思うそう。

最終的にはやっぱり、自分のためにもっと自分を大切にして生きる勇気が持てればよかったということで、あまりにも周りの人重視の時間の使い方ではやっぱり、人生はもったいないのかもと感じた。

自分を本当の意味で大切に愛せるようになれたら、人にも同じように大切に愛する気持ちにしかなれなくなると言われているし、自分を大切にしながら始まる人間関係なら、本物になれるのかもな。


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