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自分を褒める

最近よく、寝る前に10個自分を褒めよう!とか、10個感謝をして寝よう!とあちこちで言われているから、きっとやったら良いんだろうなぁ〜とは思いながらなかなか本腰が入らなかったけど、やろっ!!って思える強烈な体験談が紹介してあった。

事実ってだけでも信憑性あるのに、東大で量子力学を学んだ人らしく、自分が放つ周波数が現実化される根拠も持ちながらの話なので、真実味マシマシで説得力しかなかった。

まず、大学からやりたい仕事に就く予定だったところを、お父さんの会社の都合でお父さんが困ってる様子に、役に立てればと親の会社へ勤めることにしたのだそう。

でも、全く機械いじりの経験もないまま製造業の世界への就職だったので、社長のせがれのくせにとか、東大卒でこんなこともできないのか、でちょっとミスをすれば一斉に攻撃されて、無視されて、無能だ!何も分かっちゃいない!辞めちまえ!とかって現場に書かれたりもするもんで、自分はダメだ…どうせ自分なんて…って、自分は無能だと負のエネルギーをどんどん出すようになってしまい、それが10年以上続き、自分なんてどうなってもいいと思うようになっていってたそう。

チームリーダーを任せられるようになってからも、社員にやらせるのが悪い気がして自分がやると思ってしまい、自分を犠牲にして頑張り続けたんだそう。

でも、どんなに頑張っても状況は好転せず、それどころか自分はどうなってもいいというようなエネルギーを出していたために、社員からもこいつはどうなってもいいというようなエネルギーが返ってきてしまっていました。

その当時は気づいていなかったけど、後からその時を振り返ると、社員の方たちは、自分の出してる「自分なんてどうなってもいい」というような、自己犠牲のエネルギーをそのまま見せてくれていたのです。

やがて一人の社員に完全に無視されるようになり、声がムカつく話しかけるな指示はメモで出せと、何ヶ月も無視され続けるうちにもう限界だと病院にかかり、うつ病の診断を受けた日に転機が訪れました。

ある社員が、「自分を褒める日記」というテーマの本を貸してくれたのです。

それを読んでみたところ、自分を褒めたら何かが変わるのではないかと思え、寝る前に自分への褒め言葉を書くことを始めました。

どんな小さいことでも、その日に自分がやったことに対して、仕事に行くことができた。ご飯を美味しく食べられた。よく寝た。朝起きられた。など、褒め言葉を贈るようにしたのです。

すると一週間後、自分を無視し続けていた社員が挨拶を返してくれるようになり、三週間後くらいにはバリバリ働いてくれるようになり、数カ月後には何も言わなくても微妙な変化を感じ取り声をかけてくれるほどの変化が。

そしていつしか自分を応援してくれる側の人になってくれたのだそう。

自分を褒めることを習慣化してからは、他の社員も、手伝いに来てくれたり交代に入ってくれたりと、変わってきたのだそう。

こうした経験を通じて、自分の出しているエネルギーが現実を作っていることをリアルに理解し、苦しい体験を経ての言葉のため、全ては自分次第だという言葉は人に響いて伝わっていったそうです。

自己犠牲ってほどじゃなくても、自分は後でいい最後でいいとかってやってたから、無意味に後回しになったり適当に扱われたりってなってたんだな?って改めて納得。

幸せっていう周波数の波を出してると、幸せな情報をたくさん拾うことになって、ムカつくっていう周波数の波を出してると、ムカつく情報ばかり拾ってしまうことになる。

例えば子供が騒いでたとして、同じ場所で同じ現象を見たとしても、それぞれがその時にまとってる周波数帯の違いで、うるさいなぁと感じる人も居れば、元気でいいわねと思ったり、違った捉え方になるということ。

引き寄せで言うと、同じ周波数の波同士は共振作用で引き寄せ合う。

440ヘルツの音叉を一つ鳴らすと、近くにある同じ440ヘルツの音叉は何もしなくても共振で鳴る。

自分が出してる周波数と同じ周波数を発してるあらゆるものが、共振し集まってくるのが、引き寄せの法則のメカニズム。

うわっ最悪…という周波数を出せば、最悪の周波数が呼び寄せ合い、また最悪なことが起こるという現象を引き寄せる。

自分を大切にする方向へ生き方が変わると、自分の細胞に浴びせている周波数が変わるので、細胞の周波数が生命力を高める方へ変わるのだそう。

パラレルワールドは、「最悪」「不幸」と思っている人の世界では、それと関係し合った不幸の世界だけしか見れず、相関していない「幸せ」な世界は観測できない。

「幸せだな」「ありがたいな」と思っている人の世界では、相関した幸せな世界しかなくて、相関していない「不幸な世界」は見ることができないというもの。

全ては自分の意識が作ったパラレルワールドで、どのような意識でいるかで、一瞬にして世界が変わるということが起こる。

どんな世界で生きるかは、自分で瞬時に選ぶことができる。ということでした。

いざ自分を褒めようとしても感情はなかなか乗らないし、自分を褒める例えを検索しまくって意味あるのかな?って思いながら当分やってみて、結構な数やった頃、そいえばよく人の良い所を見つけては見習おうとしてきてたことを思い出して、人の良い所に気づいてた要領で自分のことも見れたらいいのかもと思うけどそんなすんなり簡単じゃなかったけど、何回目かにちょっと掴めてからは、少しずつ感情を伴うようにもなりながら、これは褒めてもいいかな?とかって思えるようになれてきたところがある。

意味あるのか…と思いながらも、結構な数や日数とりあえずやってみると、そこでまた何かしら展開や気づきがあるものなんだと知れた。

強迫性障害になって得られたものや、強迫性障害であることでのメリット、強迫性障害になってなかった場合のデメリットも、セッションでよく聞かれてきて気になってたから、褒めるを探す要領で改めてじっくり考えてみたら、内容はほぼ同じなんだけどちょっと感情を伴って感じられたので、そんな気がしたけど合ってるのかなぁ~?とか感情が乗ってないと感じてた間の褒める達も、なんか違うようでもの足りなく感じてたけど、意外にストライクゾーンだったのかもしれない。

チャネリングを習ったときに、なんかピンとこないというかコレっていう決定打がないっていうか、真実か妄想かの区別がつかないと言ったら、自分の記憶に存在してない未体験の全然関係ないものが、妄想であってもイメージに出てくることはないって言われたのが妙に納得だったのを思い出した。

数をこなしていくうちにだんだん、いま解決したい問題に近いものかそうでないかが分かるようになってくるとも言われたんだった。

意味がないように思えてたけど、無意味に感じながらでも数をこなすって大切なのかも。

そこからしか何も始まらないってことなのか?






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