銀河ヒッチハイク・ガイドを読んで
少しオタクの道に足を踏み入れれば、目に、耳にするタイトル
まず冒頭を読みだして、真っ先に結びついたのは藤子・F・不二雄のタッチだった。
しかしこれがラジオドラマとして生まれた年代は78年。
ドラえもんは既に生まれ、スターウォーズだってある世界。
そんな中でも世界中を魅了した要因はなんだったのか、なぜこれほどまでに名が残り続け、あたかも基礎教養として話し続けられるのか。
正直それはわからなかった。
つまりそれは理解できなかったというわけでも、つまらなかった。というわけでもない。
はるか超常的なコンピューターが生まれ、その意味に気づいた製作者たちが電源を切ろうとするが手遅れ....というのはフレデリック・ブラウンの「回答」であったり、
地球の真の支配者は人間ではなくネズミであり、地球はある目的のために生み出された有機コンピューターである。というのも、またフレデリック・ブラウン的なSFらしさに感じた。
しかしそういった古典SFをもっと馬鹿らしく、ギャグに寄せ、まるで何かゴールがあるかのような物語もない痛快な銀河の旅でしかなく、それ以上でもそれ以下でもない。
私にとってはこの期待とハードルが上がりに上がった
「銀河ヒッチハイク・ガイド」こそが
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であった。
というこのシンクロ具合には正直堪らないものがある。
これが”正しい”楽しみ方、理解の仕方であるかは全く自信はないが、これまでに感じたことのない読後感であることは忘れない大切な記憶になるだろう。
こうしてまた私も、隙を見つけては「あれって銀河ヒッチハイク・ガイドの~っぽいよね」などと言い、
オタクコンテンツをヒッチハイクして回る必需品として興味を振り撒いていくつもりだ。
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