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魔法の風景 3

 日本の代表的なテーマパークのひとつハウステンボス(Huis Ten Bosch)は、オランダ語で「森の家」。ただし現代語ではなく旧い表記だが、そこがかえってこの物語を日本人のみなさんに紹介するには役に立つ。というのも、今お話ししているオランダの都市デン・ボスDen Bosch は日本語で言えば「森市」となることが、この名称から容易に推測できるからだ。

ところで、オランダには「オランダ人をおつくりになったのは神様だが、オランダ国土を作ったのはオランダ人である」という諺がある。それゆえ、オランダの土地々々には、それぞれ人間臭い物語が秘められているのである。
ずっと以前にもお話ししたように、デン・ボスにはさらに正式名称というか、古来からの都市名スヘルトヘンボス 's-Hertogenboschがあり、鉄道の駅名としてもこちらが使われているが、その意味は、"the Duke's forest”つまり「侯爵の森」となる。この「侯爵」Dukeブラバント公アンリ1世は、領地の湿地のただなかにある森林の砂丘の上に新しい街を作った。そして、そこを自治都市に指定して繁栄の基礎を築いたのである。記録によれば、それは1185年のことであった。

でもって、デン・ボスはブラバンド地方の中心になったわけだが、もとはといえば小さな田舎町に過ぎなかった。ところが、それから二世紀半ほどたった1430年、他の各公爵領とともにブルゴーニュ公フィリップ3世(善良公)に受け継がれることになったころから、ブラバントは急速に発展し都市化してゆく。
覚えておいでだろうか? そう、我らがブルゴーニュ公マリアの祖父である。この人の治世下で、アントワープがトップクラスの商業都市へと変貌し、デン・ボスもその恩恵を受けることになる。

そして、1477年に父であるシャルル突進公の戦死にともない、マリア・ド・ブルゴーニュその人がこれを継承することとなったのだったね。このことによって、デン・ボスはさらなる急発展を展開する。
というのも、ほら、マリアの夫となったハプスブルク家のマクシミリアン1世の庇護のもと、商工業の自由を謳歌しつつオランダ最大の都市へと膨らんでいったからだよ。

しかしながら、まことに残念なことに、この超絶才色兼備のマリア・ド・ブルゴーニュは、1482年3月に不慮の事故で亡くなってしまわれた。これに伴い、長男のフェリペがデン・ボスをも領有することと相成ったわけだが、これは世界の美術史的にも非常に大きな意味をもつa very very happy coincidenceだったのだ。

なぜなら、ほかならぬこのデン・ボスは、美術史上最高最大のブッ飛び天才画家であるヒエロニムス・ボスその人が生まれ育ち、画家としての修行をし、さらには単なる美術の地平線を超えた超世界をば創造しようとしていたからである。
こういえば、諸君もピンときたであろう。
そう、今このアトリエでせっせと絵筆を運んでいるイェロンこそ、ヒエロニムス・ボスその人なんだよ。わかる? イェロンとは、ヒエロニムスのオランダ語での俗称、そしてボスはまさに地名からとった画名なのである。

映像プロモーションの原作として連載中。映画・アニメの他、漫画化ご希望の方はご連絡ください。参考画像ファイル集あり。なお、本小説は、大航海時代の歴史資料(日・英・西・伊・蘭・葡・仏など各国語)に基づきつつ、独自の資料解釈や新仮説も採用しています。